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3 確執(3/4) |
徳川はようやく応接室の椅子に腰掛けた。 「お待たせいたしました。弟さんはうちのアルバイトに探させていますので、ご安心を」 「ご迷惑をおかけいたします」 向田懐音は深々と頭を下げた。丸坊主で、大人しくて、礼儀もできる。どうやら本物の住職らしいのだが、徳川はどうにも腑に落ちない。 「ところで向田さん。わたしが松院くんをお預かりしていることは、誰からお聞きになりましたか」 「県警の弓削様からです。一昨昨日、お電話をいただきまして」 徳川は短く息を吐いた。落ち着けと、自分に言い聞かせる。 「お宅にもご家庭の事情ってものがおありだと思います。失礼とは存じますが、伺ってもよろしいでしょうか」 なんでしょうかという表情の向田懐音。 「こういう場合、親御さんがお越しになるのがスジってものかと。それが、兄上が来られた。しかも、警察から連絡があって丸三日も経っている。葬儀が重なったとか法事やらで、お忙しいので?」 実のところ徳川は腹が立って仕方がなかった。『自分の息子のために頭も下げに来ない親とは何事だ!』と、わめきたいくらいだった。礼儀の問題だけではない。犯罪に巻き込まれて、日常生活に支障をきたすほど悩んでいた向田松院。身近にいた親兄弟は何も気づいてはいなかったのか。 「いや、実にお恥ずかしい話なのですが・・・電話を受けたのが父でして、わたくしどもには知らされておりませんでした。それで昨日、再度お電話を頂いた次第で。こちらはたまたま末の妹が受けましたので、わたくしどもも知ることとなりました。清真の事故の件では、いささか父も意地になっておりまして・・・」 (意地ってなぁ・・・) 徳川は言いたいことと渋い表情を奥歯で噛み潰しながら、セブンスターを取り出して火を点けた。
向田懐音の話はこうだった。 清真の初七日を終えて、松院と父親が大喧嘩をした。それが家中を巻き込むところまで発展してしまって、松院は向田の家を飛び出してしまった。心配はしたが、警察沙汰にするまでもない。いや、できなかった。清真が事故死した直後のこと。門徒の手前もあって、これ以上の騒ぎは起こせなかった。それに、松院は成人だ。海外生活の経験もある。兄弟の中で一番しっかりしていると言っても良い。しかし行く宛はないはずだから、そのうち戻ってくるだろうということになっていた。
徳川は腹が立つのを通り越して、すっかり力が抜けてしまった。家族というのはそんなものなのかと、悲しく暗い気持ちになってしまった。 「父は清真がバイクに乗ることを好いておりませんでした。それが、あの事故で」 「それが親子喧嘩の原因ですか?ご母堂は何もおっしゃらないので?」 「ええ、まあ・・・」 徳川は喉元まで出かかった。『だから厄介払いができたとでも言うのか?だから清真にバイクを教えた松院が憎いのか?』と。 実の兄の姿を見て、迎えに来てくれたのかと喜ぶどころか、松院は逃げ出した。振り返りもせず、この事務所に逃げ込むこともせずに、別の場所へと走り去ってしまった。家族を事件に巻き込むまいとする行動とは、とてもではないが思えない。 徳川が怒りのあまり言葉が出なくなってしまっているということを知ってか知らずか、向田懐音はぼそぼそと言葉を紡いだ。 「あえて恥を申しますと、わたくしどもは松院と清真との兄弟愛と申しますか・・・そこへ立ち入ることができかねておりまして・・・」 「わたくしどもって?ご兄弟がほかにもおいでるの?」 それまで黙って聞き役に徹していた本多が口を挟んだ。 向田懐音は本多に顔を向けた。 「はい。わたくしの下に男が二人。その下に松院がいて、更に下が清真。清真の下に末の妹がおります」 「五男一女?まあまあ。いまどき珍しい」 と、刑事ドラマのテーマが高らかに響きだした。音の発信源は徳川の懐に収まっている携帯電話だ。 「あっ・・・と。ちょっと失礼」 徳川は席を立って廊下に出た。 電話を掛けてきたのは言うまでもなく刑事の弓削だった。弓削は一つ咳払いをして、 『さっきは出られなくて悪かった。取調べの最中でな。で?用件は?』 「今、向田松院の兄貴ってひとが俺のところにおいでてるんですが。弓削さんが連絡をされたので?」 『ああ。確かにおれが連絡した。二回呼んで、やっと出てきやがったか。やれやれ。いまどきの親ってぇのは、そんなもんかねぇ』 弓削も向田の親の態度が気に食わない様子だ。 「親じゃありませんよ。長男の懐音とかいう・・・」 『ああ、丸坊主の小男か』 「松院の家庭事情なんかもお分かりなんですかね」 『ああ。あっちにいるおれの同期に調査をさせた』 「流石は弓削さん。顔が広い。じゃあ勿論、俺にも情報を流して戴けるんでしょうね?」 『バカタレ。おまえは自分で聞き出せ』 「ちょっ・・・それじゃ困ります。あの子を預かっている以上、知っておいた方がいいこともありますんで。曲げてお願いしますよ」 『鈍いやつだな。話しをしている最中にポロッと吐くかもしれんじゃないか』 徳川の小鼻の筋肉がピクリと痙攣した。警察はまだ松院の関与を疑っている。弟の死に傷つき、事件の真相を知りもしないまま苦しんでいる松院が事件の主犯として疑われていることは、徳川には我慢がならなかった。 「話しをしようにも、ある程度の予備知識があった方が便利なもので。事件の早期解決のためです。お願いしますよ、弓削さん」 弓削が電波の向こうでうーっと唸った。 『おめぇがまーた一人でコトを解決しようってヘンな気を起こさねぇって言うんなら、触りだけでも話し・・・』 徳川の視界の隅に人影が映った。サッと振り返ると、まず短く刈った頭髪が目に付いた。木庭だった。ジーンズにポロシャツというラフな服装をしている。 徳川は目で頷くと電話に注意を向けなおした。 「じゃあ、弓削さん。詳しいことは今晩“葵”で・・・」 弓削と会う約束を取り付けると、徳川は電話を切った。 会話が済んだのを確認して、木庭が近づいてきた。 「木庭さん。いいところに来てくれた。運転手を頼まれてくれ。度々すまない」 「承知しやした」 「松院は?」 「引き続き蒼士さんが追ってくだすってやす」 「どこまで行っちまったのか・・・」 徳川は視線を宙に泳がせた。 一度は脅して追い払ったとはいえ、向田松院に追手がついているのは紛れもない事実だ。いつなんどき向田松院の身に危険が及ぶか分かったものではない。徳川は自分の手を離れてしまった向田松院のことが心配でならなかった。頼みの綱は加藤蒼士ただ一人。それも磁石のN極同士のように反発しあう仲かもしれない・・・とあっては不安も倍増だった。 徳川は木庭を伴って事務室に戻った。 「離席してばかりで申し訳ない。商談の大詰めでして」 「いえいえ。わたくしの方こそ突然お邪魔をいたしまして」 向田懐音は頭を下げた。 徳川は革張りの椅子に腰掛けて、 「懐音さん。申し上げにくいのですが、今日のところはこれでお引取り願えますか」 「ああ、でも松院は・・・・」 「あの子は貴方の姿を見るなり逃げ出した。それが何を意味しているのか、一番お解かりになるのは貴方だと思いますが」 徳川にぴしゃりと言われて、向田懐音は目を伏せた。そして力なく吐息を漏らした。 「見つかり次第ご連絡申し上げます。しばらくはこっちにいらっしゃるのでしょう?どちらにご滞在で?」 「警察署の近くに宿をとってございます」 「では、うちの者に送らせます」 前掛け姿に作業帽を被った木庭が、ぺこりと会釈をして見せた。
木庭に伴われて向田懐音は事務所を出て行った。 追手の側が、このひ弱な小男に照準を向けてこないとも限らない。故に運転手には木庭丈之伸のような、腕の立つ男が必要不可欠だった。 木庭の調査によると、追手は尾張のヤクザ者ということになっている。しかし、徳川にはどうにも腑に落ちない感があった。本当の敵は、また別の所にいるような気がしてならないのだ。その一角が森光発動機だ。向田松院の身辺調査をしたという弓削が、どこまでの情報を知り得ているのか。今晩の酒の席で輪郭だけでも掴めればこっちのものなのだが。 五里夢中とも言える状況にあって、向田の兄が横浜に出て来てくれたのは非常に不都合だった。弟の松院を守るだけで手一杯のところに、余計なオマケまでくっついてきたのだ。 (弓削さんも余計なことをしてくれたもんだ。いっそのこと、脅しを掛けて尾張に追い返しちまおうか) 徳川としては、こんな物騒なことも考えざるを得なかった。
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テーマ:自作BL連載小説
- ジャンル:小説・文学
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3 確執(2/4) |
徳川は自分の経営している酒類販売店の事務所に向田を連れて行った。販売店とはいっても、店舗は構えていない。業務用の酒を卸すのを専門にしているためだ。会社の敷地はマンションや住宅街の谷間にあって、面積は結構広い。トラックが旋回するのに十分な広さの中庭がある。建物はいかにも頑丈そうな倉庫に、小さな事務所がくっついているという感じだ。従業員はアルバイトを入れて十人そこそこだ。皆が和気藹々と働いている。しかもクルクルとよく動き回ること。 「こんなにあったかい職場もあるんですね」 向田は事務所の椅子に腰掛けて、出された茶をすすった。 「ヒロちゃんが大事に育てた会社だからねぇ」 事務所で勤続年数の一番長い本多というおばちゃんの言い草に、向田は茶を吹き出しそうになった。 「ちゃん、って・・・」 「そのヒロちゃんはあたしが育てたようなもんだからねぇ。ね、ヒロちゃん」 「俺、搬入状況を見てくるわ」 徳川は事務所から出て行ってしまった。本多が笑った。 「恥ずかしがっちゃって、まぁ」 留守がちの徳川に代わって会社を切り盛りしているのが、この本多だ。彼女のお陰で安心して洋酒の買い付けにも出られると、徳川は話していた。職場のアットホームな雰囲気の一端は、このポッチャリしたおばちゃんが作り出しているようだ。事務用の水色のスモックと腕カバーがハマリ過ぎなほど似合っている。 「徳川のお家は、もともと造り酒屋でね。でもヒロちゃんのおとっつぁんが潰してしまってねぇ。おっかさんは行方知れずになっちまうし、ヒロちゃんはグレちまうし」 本多はぬるくなった茶をコクコクと飲んだ。 向田は事務所の中を見回した。 「でもこうして酒屋を立て直したんでしょう?すごいっスよね。あーあ。オレもこんなところで働きたかったなぁ」 「ショウちゃんのおうちは、お寺さんなんでしょ?」 「はい。あ、でも寺は長男が継いでるし。オレなんか居たところで、単なる“石潰し”でしかないし」 「じゃあ、ショウちゃんは外で仕事をしてるんだ」 「はあ、まあ。外語学校を出てそのまま多国籍企業に就職して、五年いました。海外の方が長かったです。で、辞めて一年ってとこ。今はプー」 本多に『ショウちゃん』と呼ばれるのは、なんだか心地良かった。それに、徳川が本当にまともな商売をしていることが分かって、向田はホッとしていた。眼前のおばちゃんはどう見てもそのスジのひとではない。 「本多さん、ヒロさんのちっちゃいころとかも知ってるんですか?」 「ハナタレのころからね。あはは」 本多が笑った。小さな目が更に細くなる。 「あたしにも子どもがいるんだけどね。でもねぇ、なんでだかヒロちゃんが可愛くてねぇ。放っておけなかったんだよ。悪い連中とつるんでたこともあったけど、あたしは芯の強い子だって信じてたよ。そうしたらどうだい。自分で酒屋を作っちまったじゃないか。あたしゃ、嬉しくてね。ヒロちゃんにしてみりゃ、造り酒屋を潰したおとっつぁんへの、せめてもの仕返しなんだろうけどねぇ。可愛い仕返しだよ。まったくねぇ」 徳川は代表取締役というお堅い肩書は脇に置いて、皆から『ヒロさん、ヒロさん』と慕われている。アルバイトの学生も『ヒロさん』と気安く呼んでいる。向田がそのことに触れると、本多は 「社員は家族。お得意さんは親戚。これ、ヒロちゃんの格言。あたしもそう思う。それで自分は『白髪頭の大黒柱』って言うんだから、可笑しいでしょ?白黒どっちなんだか分かりゃしない」 徳川は家庭に恵まれなかった。故に、自分の会社を支えてくれる社員の一人ひとりを家族同然に思っている。このことは、形になって現れていた。二部制の大学に通っている学生を二人雇っているという。 さらに向田はあることに気づいた。 「あれ?ここ神棚がないんですね。商売やってるのに。珍しい」 本多は『目の付け所が違うわねぇ』と笑いながら、 「あたしがクリスチャンで在日韓国人もいるからね。ヒロちゃんの場合、神頼みにしなくてもやっていける自信があるっていうのも本当だけれど。まだ四十にもならないってぇのに、うちの社長は頼もしい限りだよ」 「うっそ!あのひと、まだ三十代なんですか!」 徳川の実年齢に仰天する一方で、向田は痛く感激していた。 本多にことわりを入れてから、向田は倉庫に行ってみた。徳川の邪魔をしないように、物陰から様子を窺う。徳川はY運輸の運転手と煙草を吹かしながら談笑していた。沼津までどうのと言っているのが聞こえた。店は小さいが商圏は意外に広いようだ。珍しい酒を揃えているからだろう。 それからしばらく、向田は徳川の動きを目で追い続けた。軽貨物運送のトラックが来たり、郵便配達の赤バイクが来たり。その誰もが徳川と言葉を交わしていく。短い会話だが、誰もが楽しそうな表情を見せる。向田はなんだか自分も嬉しくなってしまった。 徳川が手招きした。向田は親に呼ばれた子のように、コロコロと小走りに近づいた。 「松院。退屈だろう?倉庫の中、見るか?」 「えっ?!いいの?」 ビール、リキュール、ブランディ等々。未知の銘柄も多く、向田は目を輝かせた。好奇心に溢れた、生き生きとした表情。そんな彼を徳川が優しい眼差しで見詰めている。 二人はワインの貯蔵庫に入った。空気がひんやりとしている。 「やった!発見!見て見て!オレの生まれ年のワイン。カンゲキ〜!」 「ああ?」 徳川は一瞬怪訝そうな顔をしてから、舌打ちした。 「俺と一回りも違うのか?いいぜ。今晩、開けよう」 「いいの?マジ?うっわ!すっごい嬉しい!」 徳川は向田の手から瓶を取り上げると、貯蔵庫から出た。向田は本当に嬉しいらしく、顔をくしゃくしゃにしてガッツポーズしている。 「松院?松院だね?」 少し離れたところから不意に声をかけられた。向田は声の主を振り返った。向田の顔から笑みが消え、同時に猛ダッシュで逃げ出した。 「待ちなさい!松院ッ!」 すかさず徳川は男と向田の間に割って入った。 「ちょっ、ちょっと!ど、ど、どいてください!」 「どきません!」 「松院!こら!どこへ・・・って、何するんですか!」 男は徳川に腕と肩を掴まれて一歩も動けずにいた。 「無礼者はあんたでしょう!俺はあの子に責任がある!」 長身の徳川に真上から一喝されて、男はハッとしたようだ。間抜けなほどのびっくり顔で、口をぽかーんと開けて徳川を仰ぎ見ている。 「あ、あなたが社長さんで?ああ、これは大変失礼をばいたしました。弟の姿を見つけたものですから、つい。ああ、お恥ずかしい」 丸坊主の小男は、甲斐甲斐しく名刺を差し出した。名刺には“向田懐音”とある。尾張の、徳川も知っている大きな寺の名称が書かれていた。 「向田の長兄でカイオンと申します。このたびは弟が大変お世話になりまして。感謝の言葉もございません」 「これは・・・兄上で?・・・ご住職?」 「はい。まだ父は現役なのですが、代替わりをいたしておりますゆえ」 ややぽっちゃりとした、若い住職だった。色白で背が低い。本当に血のつながりがあるのかと思えるくらい向田松院とは似ていない。従兄弟でもまだ似ているものだ。 (どういうことだよ、こりゃあ・・・) 徳川は向田懐音を事務所の応接室に通した。 「ちょっと失礼。すぐに戻ります」 徳川は会社の周りをひととおり探してみたが、向田松院の姿はなかった。えらいことになったと、徳川は舌打ちした。 「ようやっと笑うようになったってぇのに。なんだって今ごろ・・・」 言いかけて、徳川は口髭に手をやった。気になることが生じたのだ。 本多が茶を出している間に、徳川は携帯電話から弓削に電話を入れた。呼び出し音が鳴る。片方で『遠いところからお出でたんでしょう』と本多が話し掛けているのが聞こえた。廊下伝いではっきりした会話は聞き取れないが、本多は持ち前の家庭的なムードで向田懐音をもてなしているようだ。そのことが徳川にとって貴重な時間稼ぎになっているとは、当の本多は知りもしないことだろう。 弓削はなかなか電話に出ない。一旦切って、加藤にかけなおした。今度はすぐに声が聞こえた。 「蒼士。今、先生のところだろう?・・・え?こっちに向かってる?」 好都合だった。しかも木庭の運転する車の中だと言う。早急にこちらへ来るようにと伝えて、徳川は電話を切った。会社の前の通りを見渡す。 今のところ不審な車や人物は見当たらなかった。
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テーマ:自作BL連載小説
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3 確執(1/4) |
3 確執
加藤蒼士はすっかり息が上がっていた。思いのほか木庭が粘りを見せたのだ。身体つきは木庭の方が少し小さいのだが、加藤を倒す底力を秘めていた。 道場の中。よく磨かれた床板の上に加藤は正座をして深く頭を下げた。こめかみから顎を伝って汗の玉が落ちた。
「何年やっておられるんですか」 シャワー室の仕切りの向こう、汗を流しながら木庭が尋ねてきた。 「ええと二歳のころからだから・・・」 加藤の返事を聞いて、木庭が笑った。 「空手暦二十年以上で?凄いですね。おれなんて中学の部活が最初です」 「キャリアじゃありませんよ。実際、木庭さんに敵わなかったじゃありませんか」 「いや。あなたの蹴りは恐ろしいです。下半身の安定が素晴らしい。でも、突きをなさらないのが不思議で。せっかく長い腕をお持ちなのに」 木庭はボクサーのように片腕をピンと伸ばして見せた。体脂肪率が7%あるのかと疑わしくなるような身体。ネコ科の猛獣のようだ。細い筋肉の取り巻いた、いい身体をしている。 加藤は、芸能人の婚約発表よろしく、木庭に手の甲を向けた。すらりとした細い指。男のものにしては華奢すぎる、綺麗な手をしている。 「女の手みたいでしょう?だから突きは苦手なんです。『突きは封じているんで』とか言えたら格好もつくんですが」 木庭の口調を真似したのが自分でも可笑しかったらしく、加藤が笑った。 母屋では権藤の姐が加藤を待ち構えていた。 「はいはい。脱いだ、脱いだ」 加藤をボクサーブリーフ一丁にすると、布製の巻尺で寸法を計り始めた。その様子を可笑しそうに木庭が眺めている。権藤の姐は和裁が生き甲斐のようなひとで、木庭が着ている紺の着流しも彼女があつらえてくれたものだった。 「変わったパンツやねぇ。今の若い子はこんなん穿いてるんか?」 「穿き心地いいんですよ。ズボンに線が出ないし、安定するし」 加藤の返答に、権藤の姐が笑った。 「安定感を求めるほどあんたのは立派なんか?外人サイズ?」 加藤は『うっ』と詰まって、 「失言でした。ご、ご覧のとおり、粗末なモンです」 権藤の姐がコロコロと笑った。 「はい、おしまいや」 権藤の姐は白魚の指で加藤の大事な部分をツンと弾いた。 「あんまりおなごを泣かしたらあかんよ」 権藤の姐が十畳間を出て行くと、木庭がこらえきれずに吹き出した。 今朝のこと。木庭は立川香奈の住むマンションまで加藤を迎えに行った。助手席に乗り込んできた加藤は、香奈の愛用している香水の移り香をプンプンさせていた。可愛い顔をして、意外に女遊びもできるひとなのだなと、加藤を見る目がちょっと変わった出来事だった。そのことを権藤の姐に報告したわけでもなかったのだが、女の勘に読まれてしまったようだ。 木庭が吹き出した理由はそれだけではない。権藤の姐の姿が見えなくなったと同時に、加藤が自分の身体の匂いを嗅ぐ仕草を見せたのが、たまらなく可笑しかったのだ。
「ゆうべは泊めてもらっただけですよ」 「そういうことにしておきますか」 木庭の目元が笑っている。加藤は『あーあ』という表情になった。 「邪魔者は消えろ、と思いまして」 「歳の近い蒼士さんが居た方がうまくいくと思いましたがね」 「駄目です。メッチャ嫌われてしまいました」 加藤はソフトスーツの肩をちょこっとすくめたようにした。 「蒼士さんであれ茶髪のボンであれ、徳川社長のそばに誰かが居るってぇのは良いことだと。お一人は良くありやせん」 「ヒロさん、以前は助手の方と暮らしていらしたと伺っていますが」 「ええまあ・・・お亡くなりになったのも、ご存知で?」 声を抑えた木庭の問いに、加藤は黙って頷いた。 加藤の知るところでは、マスミだかマサミだか、そんな名前のひとだった。徳川とはまさにツーカーの仲で、仕事場でも私生活でも“パートナー”と呼ぶにふさわしいひとだったらしい。 木庭が煙草のパッケージを取り出して、加藤に差し出した。 HOPE 希望という名の短い煙草に火が点った。 「火をもらっていいですか」 木庭は顔を寄せて、加藤の銜えた煙草から火種をもらった。間近に見る加藤の顔。上品な藤色のソフトスーツに身を包んだ加藤は、まるで俳優のようだ。木庭は紫煙を吐きながら、加藤の横顔を見てフフと笑った。 「不思議な感じがします」 加藤が『何が?』という表情を向けた。 「青い目のひとがこんなに近くに居るってぇのは、どうも日本人のおれには変な感じがしてならねぇんですよ」 「目が黒かったら、迷わず日本に帰化しました。どっちつかずなんですよ。アメリカではジャップ扱い、日本ではガイジン扱い」 木庭は『しまった』という表情になった。 「すんません。余計なことを言いました。やっぱり気にしてらしたんで?」 「昔はコンプレックスでした。でも今は僕のアイデンティティというか。先祖からもらったこの顔を誇りに思っています」 「おれも自分の名前が気に食わなかった時期がありますよ。タケノブって名前のわりに背丈が伸びなかったんで」 加藤は宙を見詰めて固まっている。漢字を思い出しているのだろう。 紫煙をそっと吐きながら、木庭が短くなった煙草をねじ消した。 「それで、例のBMWのことですが。蒼士さんが追う方に回ってくださったのが幸いしました。ナンバーで面が割れたんで。尾張のちっぽけな組の一派です」 加藤が紅いVFR750で散々ブロックしまくった、あのBMWのことだ。途中からは、加藤がBMWの後ろに回って追い散らした。そうして、最終的には左右のミラーを銃弾で弾き飛ばして、『脅し』は完了だった。この程度の脅迫でビビッてくれた方が、相手のためだった。木庭の属する紅竜會は、その気になるまでもなく、小さな組を潰せる力がある。 「うちのカンバンを見ても追ってきた。アホなんか、確信犯なんか」 着流しの懐から片腕を出して、顎を支える格好で、木庭が考えるような仕草を見せた。目が鋭く光っている。加藤は思った。紅竜會はともかく、この木庭丈之伸という男を敵に回さなくてよかった、と。
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テーマ:創作・オリジナル
- ジャンル:アニメ・コミック
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2 吐露(3/3) |
「天ノ岩戸状態なんです」 寄り合いから帰ってきた徳川に加藤がぼやいた。場所は徳川の書斎。和室にいる向田に聞こえはしないが、声のトーンはかなり抑えている。 「すみません。僕が余計なことしました」 「大丈夫さ。表面だけだよ、あれは。根は気持ちの優しい良いコだ。ただ、ちょっと今は傷つきすぎているからなぁ。トゲも出したくなるさ」 加藤は小さく頷きはしたが、目は伏せたままだ。 「どんな話をしたんだ?」 「ヒロさん、弓削って刑事さんに言います?」 徳川は口をへの字に曲げた。 「そりゃ場合によるな」 加藤も口をへの字に曲げてフウと鼻から息を吐いた。 「セイシン・ムコウダを知っているかと訊いたんです」 「ムコウダ・セイシン?」 「若手のライダーです。“影道(シャドー)”っていうチームで走っていて実力を認められて。プロ入りが決まっていたんですけど・・・・」 「けど断念したのか?」 「事故で亡くなったんです」 「そりゃあ・・・・」 「バイク雑誌にも取り上げられるくらい注目されていたひとだったのに。亡くなったって聞いて、僕すっごいショックでした」 少し間を置いて加藤は『個人的なことですみません』と付け加えて、 「向田って苗字もそうなんだけど、名前が珍しいのも共通しているから、つい兄弟か何かなのかなって気になって」 「訊いたのは確信があってのことなのだろう?」 加藤は頷いた。 徳川は腕組みして椅子の背もたれに寄りかかった。椅子が小さく軋んだ。 「セイシンねぇ・・・『誠心誠意』のセイシンか?」 「いいえ。『清き真』の清真です。綺麗な名前ですよね」 徳川は口髭に手をやった。 「本当に事故だったのか・・・・」 向田松院は拳銃絡みの事件に巻き込まれている。故に“清き真のひと”も同じく事件がらみで殺害された可能性は充分に考えられる。 加藤が徳川の肩に手をやった。薄蒼い瞳が徳川の目を真摯に見詰めてくる。 「しょーちゃん、きっと何か知っているはずです。でも僕には話してくれそうにないし。でも、でもね、きっと苦しんでいると思うんだ。ヒロさん上手く聞き出せないかな?聞いてあげてしょーちゃんを楽にしてあげられないかな?そうしたらほら、事件だって片付くかもしれないでしょ?」 もののついでに事件を片付けてしまおうと言っているような口振りが可笑しかったのか、徳川はふと微笑んで加藤の頬を指先でくすぐった。 「松院が好きか?」 「うん。お兄ちゃんができたみたいで凄く嬉しい」 それから加藤は笑って付け加えた。 「ちょっと問題児だけどね」
加藤は立川香奈の店に行くといってマンションから出て行った。今夜は帰らないからと言い残して。一つには徳川と向田の邪魔をしないため、もう一つには本気で香奈を口説くためかもしれなかった。 徳川は引き戸を開けた。布団が綺麗に伸ばされている。向田の姿はない。そのまま八畳間を突っ切って、徳川は次の襖を引いた。奥の部屋は仏間になっている。団地用の小さな仏壇を前に向田は胡座をかいていた。 「どうした、こんなところで」 「仏さん、居るんですね」 背を向けたまま向田が言った。 「独りモンには珍しいだろ?」 徳川は並んで胡座をかいた。 「生憎、俺しか墓守をする奴がいなくてな。俺には兄弟がいない」 向田はちらりと徳川を見た。 「そんな感じがする」 徳川はふと鼻で笑った。 「おまえは?兄弟はいるのか?」 「います・・・どうせ調べはついてるんでしょう?」 沈黙。お互いの呼吸する音が聞こえるくらい静かだ。救急車のサイレンが遠くかすかに聞こえた。 「蒼士と喧嘩でもしたのか?」 「そんなんじゃないっスよ」 向田は茶色い前髪をかき上げた。 「蒼士は?」 「香奈の店に行くと言って出て行った。あれでタキシードを着るとサマになる。ホストまがいのことをやっているのかどうか、知りもしないがね」 「ホスト?はは、駄目ですよ。あいつは酒が飲めないから」 「そうか。知らなかったな。俺と同じか」 「えっ?嘘?マジ?」 「二合も飲めばゲロする」 「サイテー!」 向田がようやく笑った。しかも声を立てて。徳川も苦笑いを浮かべながら 「酒屋が飲んでちゃ勤まらないだろうが」 「そっか。そうだね」 そしてふと向田が俯いて短く頭を振った。何かを吹っ切るような仕草だった。 「話を逸らすの、卑怯っスよね」 向田は真っ直ぐに徳川の目を見ている。徳川も目を逸らさない。鳶色の瞳が真摯に向田を見詰めている。 「話すか話さねぇかは自分で決めろ」 低い声だった。徳川には常人にはない迫力がある。向田は再びそれを感じていた。 向田は徳川に向き直って正座をした。 「仏さんの前では嘘は言っちゃあならないから。バチが当たらなくても爺ちゃんが化けて出る」 徳川が少し目を細めて頷いた。
向田はこれまでの経緯を語り始めた。徳川の迫力に押されてのことではない。徳川の前ではなんとなく素直になれる自分を感じ始めながら、向田は言葉を紡いだ。 「清真はオレの弟です。歳は六つ下だけど、すぐ下の弟で。あいつが何かとんでもないことをやっていたんじゃないかって、オレ、怖くなってきて。話してもいいもんかわかんなくって。下手すれば清真のいたチームが潰されちゃうかもしれないし。それにオレの家もヤバイかなって・・・。ほら、門徒のこともあるし」 徳川は小さく頷いて見せた。 「あいつ、運び屋まがいのことをやっていたみたいなんです」 徳川の口髭がふと動いた。 「運び屋?なんでまた」 「ヒロさん知ってる?レース活動に金がかかるっていうこと」 「ああ、一応はな。プラグ1個から銭がかかるもんで、スポンサーを見つけるだけでもえらく大変だとか」 「だから弟はスポンサー企業の手伝いみたいなことをやってた。顔をつないで金も貰えるから」 「なるほど」 「弟は草レースから始めて、死ぬ直前にはプロになれるところまで来ていた。あいつにバイクを教えたのはオレなんだけど。あいつ、オレより上手くなって速くなった。公道でも危なげなくスパーンって速くて。速いのと上手いのと・・・あと、あいつは馬鹿正直っていうか素直すぎるっていうか。疑うことを知らないっていうか。頼まれごとをホイホイ引き受けちゃうところがあったから・・・・」 「何も知らずに運ばされていたかもしれないんだな。何を運んでいたのか・・・」 言いかけて徳川は愚問だと気付いた。向田のニンジャから出てきたモノ。 「ハジキの部品だったんだな」 向田は唇を噛んで頷いた。 「弓削さんから聞かされたときには驚いただろう」 「うん。やっぱりかって思った」 「やっぱり?おまえ、分かってて?」 「うん・・・オレ、モデルガンなんかも好きで。よく雑誌を読んだり模型をバラしたりしていたから。あの部品がシアーじゃなかったらオレも多分判らなかった。清真が中身をブチまけたときには全然判らなかったんだけど、あとでよく見たらおかしいなって。バイクの部品だとは思えなかったし」 「そのことは他に誰か知っているのか?親兄弟とかチームの誰かとか」 向田は首を横に振った。言えるはずもないだろう。平和の国日本でも拳銃の密売が行われている。それは紛れもない事実だ。しかし一番身近な人物がそれに携わっていたとしたら?困惑のどん底に落ち込むだろう。向田は独りでそれに耐えてきたのか。 「あいつは『頼まれもんだから』って箱の中身も見ずに運んでた。それでいつだったか、パッケージが壊れちまったことがあってさ。箱の中から同じ物がダーッて出て来た。かき集めるのを手伝おうとしたら断わりやがて。見られちゃマズイものだったんだなって、今思えばそうなんだ」 「元締めに脅されていたような感じがあったのか」 「そうじゃないと思う。あいつ、馬鹿正直だったって言ったでしょ。多分、社長か専務か、その辺の幹部連中に大事な部品を運んでくれとか言われてホイホイ引き受けたんだと思う。貴重なスポンサーだからさ。チームの今後のためにもそれくらいのことは引き受けようって、軽い気持ちでやってたんだと思う」 「スポンサーっていうのはどういう会社なんだ?」 「森光発動機っていう中堅の会社」 「発動機?エンジン屋か」 「中堅つっても地元じゃ大手。東南アジアでは有名所さ。事務のねーちゃんが社用でAUDI転がしてるくらいだから。儲けてんじゃないのかな」 向田の言い回しには皮肉が込められていた。裏金で儲けているんじゃないの、と。向田の悔しさが空気を伝わってくる。 「オレ、弟が世話になってた関係で森光の幹部連中にも会ったことがあるけど、当たりは悪い人たちじゃなかった。それなのに弟が金儲けの道具に使われていたかと思うと・・・悔しいっつうか複雑で・・・」 徳川が小さく唸った。 「それでおまえは何かおかしいと感じていて、清真くんがバラした部品のうちの一つを取り除けておいたんだな」 「いや、あとで拾ったんだ。車の陰の変なところに入り込んでてさ。清真も見つけ切れなかったみたいで」 向田が言った通り、清真は何も知らずに運び屋をやらされていたのかもしれないと徳川は思った。部品が何個詰になっていたのかも知らなかったのである。人手に渡り、数が合わないということで清真がパクったということになった。それで命を落とす結果になったと考えても不思議ではない。頭の悪い、気の短い連中ならやりかねない。 「おまえは部品を拾ってみて、まさかと思ったんだな」 向田はこっくりと頷いた。 「取っておいて損はないと思った。モデルガン用のパーツとかっていう可能性もあるんだし。開発中の新製品の部品とかでさ、見られちゃ困るやつかもしれないだろ?数が合わないとか文句が出たら『すんません』って返せばいいやって。本当にヤバくなったら警察に持ち込めばいいやって・・・・」 向田は眉間に皺を寄せて項垂れてしまった。 「馬鹿だった・・・!さっさと清真に渡してりゃよかったんだ。そしたらあいつ死なずに済んだ。オレがいい加減なことやったから清真を死なせちまった・・・あいつ何も悪くねぇのに・・・」 向田のジーンズにぽつり、ぽつりと涙の染みができた。 「清真くんの事故にも何かおかしな点があるとおまえは思うんだな」 向田は項垂れたまま小さく頭を動かした。 向かい合っていた徳川は向田のすぐ脇に身体をずって腕を回した。抱き寄せるようにしてやると、ホッとしたのか向田は嗚咽を漏らし始めた。 「これだけのことを独りで抱えっぱなしだったのか?辛かったな。よく話した。偉かったぞ。爺ちゃんも褒めてくれるさ」 そして徳川は向田の背中をポンポンと叩いて 「おまえは仏の子だ。その上爺ちゃんもいる。おまえを守ってくれるさ。及ばないだろうが俺も加勢をするぜ」 徳川には向田の気持ちが痛いほど解かった。大切な人を死なせてしまった辛さ。無二の身近な人を失った寂しさ。そして、死の種を自分が蒔いてしまったという辛さが。 向田が涙を拭って顔を上げた。目と鼻の頭が赤くなっている。 「すんません。情けないトコ見せて」 徳川は向田の茶色い前髪をくしゃりと優しく掴んだ。 「あとはゆっくりしていろ。風呂に入ってスッキリするのもいいさ。ん?」 徳川の優しい眼差し。向田はなんだかくすぐったくて照れ笑いした。
あれから徳川は色々と憶測を巡らせた。 エンジンメイカーである森光発動機。当企業がバイクレーサーのスポンサーをやるというのは、一見道理に適っている。しかし地方の中堅企業にスポンサーをやるだけの体力があるというのも見上げたものだ。徳川が思うに自分の会社にはそんな余力はない。向田が言うようにどこかでおかしな儲け方をしているのか。また、自社で銃の部品を作るものだろうか。こちらには思い当たる節がある。下請けの零細工場の存在だ。こういった工場の職人の腕は確かだ。それにこのご時世のこと。少しでも仕事は欲しいはずだ。そこへきて新製品の部品だと持ちかければ、職人魂をくすぐられて飛びついてくることだろう。だが、エンジンやバイクの部品ではないと判明したらどういうことになるだろうか。上手く誤魔化していたのか、それとも抱き込んでいたのか。まだある。運び屋にプロを使わずに“お抱えレーサー”を使った理由は何なのか。 (単純に考えれば人件費がかからないからか?自給千円くらいで動く運び屋なんていないからなぁ。掴めそうで、掴めんなぁ・・・) 徳川は書斎で煙草の本数だけを増やした。
徳川がそろそろ布団に入ろうかと思っていた頃だった。彼の携帯電話の着信音が鳴った。刑事ドラマのテーマ曲ではない。発信源は公衆電話。出てみると、かけてきたのは木庭だった。 木庭は『夜分にすんません』と一通り挨拶をしてから 『蒼士さんはまだ起きておられますか』 「ああ、多分。今はまだ香奈の店だろう。オーダーストップまで時間があるからそっちにかけ直すか?俺が用件を伝えてもいいが?」 木庭が言いにくそうに電話口で小さく唸った。徳川は小さく鼻で笑って 「おたくの姐さまだろ?俺に蒼士を連れて出て来いと言えとかなんとか言われて外から電話かけてきたんだろうが。言っておくが俺は行かねぇぞ。勝手に蒼士だけ連れて行け」 『そんなに先読みしないでおくんなせぇ』 木庭が情けのない声で漏らした。 『どうしてもお越し願えないんで?』 「ああ。あそこは敷居が高くていかん」 紅竜會の首領、権藤誠也の屋敷。そこは徳川にとって記憶から消し難い場所である。良い意味でも、悪い意味でも。そのことを若手の木庭は知らない。 『茶髪のボンはどうなすってますか』 木庭の問いかけに徳川はハッとした。 「ああ。一応は落ち着いている。だが厄介なことになりそうだぜ。あんたの力を借りることになるかもしれん。無論、権藤先生には極力ご迷惑をおかけしないようにする」 『徳川社長のためなら、おれは喜んで。親分さんもきっと』 徳川は加藤蒼士への伝言を頼まれてから電話を切った。
いつもなら徳川はリビングの隣の八畳間に布団を引いて寝る。今夜からは向田が居るので、その奥の仏間で寝ることにしていた。徳川はリビングと八畳間を仕切っている引き戸をノックした。 「入るぜ・・・っと。どうした?」 向田は布団の上に胡座をかいていた。 「寝付けないのか?酒でよければ飾り棚にあるやつを飲んでいいぜ。その名の通り飾ってあるだけだからな」 「あ、ありがとうございます。あの、でも・・・その、オレ、弟と布団を並べて寝ていたもんだから。こんなにだだっ広い部屋で寝るのがなんだか落ち着かなくて。すげー贅沢な悩みっスよね。寝返り打ち放題なのにさ。あはは」 空っぽの笑い。徳川は向田を見下ろしたまま 「松院。おまえ自宅では眠れていたのか?」 向田は曖昧な笑みを浮かべたまま『さあ』とでも言うようにピョコンと首をかしげて見せた。 入院中の向田を訪ねたとき『久し振りに食べ物が美味いと思った』と語ったことを徳川は思い出した。弟の死の衝撃と秘め事への心配からまともに飲み食いができる状態でもなかっただろう。ましてや夜に独り布団に入れば様々な想いが脳裏に渦巻いて眠れもしないだろう。 徳川は向田の頭頂部にぽんと手を置いて 「じゃあ添い寝してやるよ。奥から布団を取ってくる」 眠るときに傍らに誰かが居るというのは徳川にとっても久し振りのことだった。
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2 吐露(2/3) |
徳川が用意してくれた布団でぐっすりと眠り込んでいた向田は、ふとした拍子に目が覚めた。比較的重い物をテーブルに置くようなゴツンという音。その後は人の話し声が聞こえてきた。 「香奈にはきみからも謝っておけ。それで気が済むだろう」 「いつか食事に誘おうと思っていたから、それと絡めますよ。香奈さんはマジで口説いてみたいし。あ、煙草もらっていいですか」 「へぇ。蒼士、吸うのか?」 クスと笑うのが聞こえた。それからパチンという音。ライターの上蓋を閉じる音か。 「煙草は十七で憶えちゃって。フィルターもない粗悪なやつで。兄貴分に教わったんです」 「ハハ。フィルターなしの煙草でだと?まるで戦時中みたいだな。歳をごまかしてないか?」 再びクスクスという笑い声。それからカラカラという滑車の回る軽い音がした。アルミサッシを開けるような音だ。 「ところであのひとの具合はどうなんですか?」 少し声が遠くなっている。戸の先にベランダでもあるのだろう。 向田は我知らず聴覚に神経を集中させていた。 (・・・オレのことかな?) 小さな床の軋みが近づいてくる。 向田はなんだか慌ててしまって、目を閉じて寝たふりをした。 すーっと、引き戸の開けられる音。ひとの視線が向けられているのが目を閉じていても分かった。 と、室内をやや大股で歩いていく音がした。 「ヤバッ。コンタクト、限界!」 「こら、静かに」 小声で徳川が注意を促したのとほぼ同時に、向田は大きく寝返りを打って目を開けた。それを見て、徳川は畳の上に胡坐をかいた。 「悪ィ。起こしちまったか」 向田はゴソゴソと起き上がった。 「いいえ。何となく目は覚めていましたから」 「まだムカムカするか?気にしないで寝ていていいんだぞ」 「もう平気です。寝たらスッキリしました。あの、手洗い借りてもいいですか」 徳川に言われた方へのろのろと歩いていくと、洗面所から人影が現れた。先刻の、もう一人の声の主らしい。タオルで顔を拭いながら出てきて、向田に気づくのが遅れた。 「わう!」 向田が起きてくるとは思っていなかったのだろう。驚きの声を上げて、壁とは反対側に避けた。 「すんません。手洗い借りに・・・」 言いかけて、向田は相手の顔を凝視した。 くっきりとした二重瞼に長い睫。その中に収まっている瞳は、冬の青空を氷で透かして見たような色彩だ。 (えっ?!ガイジン?) 固まってしまった向田に、相手は右手を上げて 「Good morning!」 向田は目が点になってしまった。 「えっと、あ、ぐっ、Good morning. I am Shouin Mukouda. Nice to meet you.」 「Good pronunciation! I am Soushi Katou. Nice to meet you, too!」 朝のナントカという番組でもあるまいに、突如として現れた外国人(?)を目の前にして、手洗いに行くという目的は向田の脳裏から完全に吹っ飛んでしまった。 「I want to know How to write your name in Chinese letter. Please tell me.」 「Un・・・. Let me see・・・」 『ソウシ カトウ』と名乗った彼はちょっと考える仕草を見せた。 「顔面蒼白のソウに武士のシ、だ。自分で自分を追い込んでどうするんだ、蒼士」 向こうの部屋から徳川が口を挟んだ。 と、カトウが笑い出した。 「ワタシ ニホンゴ ワカリマセーン!」 向田は一瞬呆気に取られたが、 「なーんだ!てめぇ、日本語分かるんじゃねぇか!ちっきしょう!マジ、ムカツキ!」 「え〜。だって勝手にガイジンだって思ったの、しょーちゃんでしょ〜」 「しょーちゃんって呼ぶな!」 「けちー」 「そこ。喧嘩しない。松院、トイレはいいのか?」 「あっ、忘れてた」 バタバタと手洗いに走りこむ向田。 「元気そうじゃん。よかったね、ヒロさん」 加藤蒼士は徳川に向かってにっこりした。
この加藤蒼士という男子は一風変わっていた。顔立ちは和洋折衷というか、日本人に混じってしまえる範疇にある。髪の色のせいもあるだろう。艶のある漆黒の髪を肩の線まで伸ばしている。体格も、肌の色も、日本人のそれと変わりない。日本語の発音も良い。外国人に独特のR訛りというか、イントネーションというか、そんなものは微塵も感じられない。だが、薄蒼い瞳の色だけがしごく違和感を覚えさせた。流行のカラーコンタクトレンズでは出すことの叶わない、澄み切った蒼。東洋人は持ち得ない、異国の色。 リビングのテーブルの上にはあるべきものがあった。SHOEIの黒いヘルメット。甲にリペットの打ち込まれた黒い皮手袋。先刻の鈍い音の正体はこれだった。 「もしかしてあいつ、真っ赤なVFR750に乗ってません?」 冷蔵庫を物色している加藤に聞こえないトーンで、向田は徳川に尋ねた。徳川は黙ったまま、目で頷いて見せた。セブンスターを一本銜えると、灰皿を片手にベランダに出ていこうとする。向田は後に続こうとソファから立ち上がった。 ベランダに出ると、向田はアルミサッシをぴたりと閉めた。加藤に話を聞かれたくはなかった。 「訊いてもいいですか」 「?」 「あいつ、どういうやつなんですか。やっぱり・・・あのベンツの人たちと関係あるんですか?」 向田は『やっぱりヤクザなんですか』と言いかけたが、慌てて言葉を選んだ。徳川は気にしない様子で遠くを見やりながら、 「蒼士は俺の助手見習とでもいうかな。こっちへ来て2週目になる」 「見習?弟子ですか?」 徳川はくつくつと笑った。 「酒屋の力仕事から電話応対から。帳簿はさすがに任せちゃいないがね。ゆうべも遅かったから、香奈の店の手伝いでもやってきたんだろう」 向田は胸がどきりとした。 「徳川さん。オレ、ここに居てもいいんですか?」 完全に邪魔者だと思った。徳川を中心に世界が出来上がっているような気がした。それに、犯罪者のレッテルも貼られかけている身だ。徳川に迷惑がかかったらどうしよう。向田はそれだけで目の淵が熱くなってしまう。 そんな向田に向けて、徳川は目を細めてくれた。 「ああ。事件が片付くまで預かると、弓削さんにも納得してもらった」 更に徳川は左手をちらつかせて、 「ちなみにカミさんもいない。気楽な一人暮らしさ」 徳川ほどの男に奥方がいないのは不思議といえば不思議だが、女の気配が感じられないのは明らかだった。部屋はきちんと片付いているのだが、女の匂いのする部屋ではなかった。外に囲っているのか、そうでなくとも遊ぶ女に苦労をするタイプとは思えない。金を払ってでも抱いてもらいたいという女もいるだろう。地位も金もある、魅力的な大人の男として映るはずだ。ましてや『代表取締役社長』の肩書きも持ち合わせているのだから。 言葉が出なくて固まっている向田に徳川は笑って付け加えた。 「結婚しそこねて、な」 徳川が気を遣ってくれていることが向田の胸を打って仕方がなかった。向田は思わず深く頭を下げた。 「オレ、大人しくしてますから。絶対、迷惑かけないようにしますから。仕事の邪魔にならないようにします。家の中のこととか、なんでも言いつけてください。なんでもしますから。掃除とか、料理とか。婆ちゃんの手伝いしてたくらいだから、昔料理しかできないけど・・・」 徳川は顎を引いた格好でフーッと紫煙を吐いた。煙草を灰皿の淵に転がすようにして灰を落とす。フィルターを指で弾くと灰が飛び散るからだ。品のある吸い方をするひとだと、向田はなんとなくだが思った。立ち位置も、さりげなく風下を取っている。 徳川は短くなった煙草を灰皿の底に押し付けた。 「居られるだけ居たらいい」 コツコツと窓ガラスを小突く音がした。アルミサッシの向こうに加藤が立っていて、遠慮がちにサッシを引いた。 「夕飯、準備しますから。ヒロさんは七時から寄り合いだったよね」 「ああ。先に簡単に済ませられるようにしてくれるとありがたい」 「しょーちゃんには好き嫌いとか、ダメなものとかあるかなーと思って」 『どうよ?』という表情で加藤は向田の顔を見た。 自分とさほど違いのない顔に薄蒼い瞳が収まっている。瞳の色のせいで、見詰められているだけなのに睨まれているような感がある。ハスキー犬のような顔。やはり違和感のある顔だと向田は思った。 「生の魚介類が苦手なくらいだけど」 「当たるのがあるとか?」 「ああ。貝なんて全くダメだ。それに・・・」 向田は付け加えた。 「気安く『しょうちゃん』なんて呼ばないでくれ。ムッとくる」 睨むようにして言った。もともとワイルドな感じのある顔なので、睨みは効く方だ。が、加藤はちょっと肩をすくめて踵を返した。向田に背を向けて、舌でも出しているかもしれない。 「あンのやろ・・・!」 鼻皺を寄せている向田。徳川はフフンと笑って、 「仔犬みたいなコだよ。せいぜい仲良くするこった」
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軽く夕食を摂ってから、徳川は『徳川酒類販売店』の事務所に顔を出しに行った。その脚で寄り合いに行くことになっている。徳川のマンションには成年男子二人が残った。 あり合わせの材料を使って加藤がこしらえたパスタ料理を突っつく。鶏ガラスープに胡麻の風味を利かせた、なかなかの一品だった。 「口に合わなかったら残してね」 加藤は謙遜というものを心得ているようだ。向田はむっつり顔をしながらも、心中では美味いと思っていた。食が進まない振りをするのに苦労をしている自分に幾らかのばかばかしさを感じながら、それでもかったるそうにサラダを突っついた。 「ワイン、どうする?」 白のハーフボトルが三分の一ほど残っている。向田はグラスを空けた。 「オレばっかり飲んでるじゃん」 「僕、飲めないもん」 「オレの見張りだったら、しなくていいぜ」 加藤は唇をツンと尖らせた。 「そういうんじゃないよ。ホントに飲めないんだってば」 これ見よがしに、というわけでもないのだろうが、向田はグラスに注がれたばかりのワインを一気に空けた。 「なら、飲んじまうぜ」 向田はボトルに残っていたワインを手酌で自分のグラスに注いだ。昨日まで入院していたことを感じさせない飲みっぷり。ハーフボトルくらい、水代わりの感覚なのだろう。呆れたのか、加藤はハアと溜息した。 二人分の皿がきれいに空いた。加藤はリンゴをむき始めた。 「線香臭くはないはずだけど」 「は?」 「昨日まで仏壇に供えてたやつだから」 向田はフンと鼻を鳴らした。 「いいよ。慣れてっから」 「あのさ、しょーちゃんの家って、お寺?」 沈黙。背後にはTVCMの騒がしい音。 「・・・なんで?」 「だってさ。当たり前の名前じゃないじゃん」 「わーるかったな。当たり前じゃなくて。でもあんたのも相当変わってると思うぜ。青い目のサムライなんて、できすぎじゃんよ」 向田は加藤がむいたばかりのリンゴを楊枝の先で突き刺した。 「あの弓削って刑事さんからいろいろ聞いてんじゃないの?」 向田は加藤とは視線を合わせずに、半ば投げやりに尋ねてみたといった感じだった。すると加藤は、 「うんにゃ。僕、ユゲさんと面識ない」 と、リンゴをもぐもぐやりながら投げやりに答えた。 「いろいろ聞き出す気もないよ。僕のやるこっちゃないし。僕、頭悪いから聞いたって忘れるし」 加藤はニコニコしながら向田を見た。 「それに、一緒にご飯をたべられるひとが増えて嬉しいんだ。ヒロさんも多分そうだよ。だからあんまり気にしっこなし、ね」 加藤は笑った。子供っぽさの残っているような可愛らしい笑顔だ。こんな表情をする加藤が、昼間見たようなオートバイの乗り方をするとは。向田は人間の二面性を見たような気がした。普段は大人しいが、ハンドルを握れば人格の変わる人間はいくらでもいる。 「あのVFR750、あんたの?」 「うん。こっちに来てから乗るようになった。本当ならKATANA1100の方がいいんだけど」 「凄かったぜぇ、あのブロックはよ。ああいうの、怖くないのか?」 真っ直ぐに目を見た向田に、加藤は 「怖かったよ。でも自信あったし、面白くもあった。日本でも、ああいうことが起こるんだなって、可笑しかった」 「可笑しかねぇだろ。どういう神経してんだよ」 変人を見る目つきの向田。加藤はまた笑った。 「しょーちゃんはニンジャに乗ってたんでしょ?ヒロさんが言ってた」 「ああ。駄目にしちまったけど」 向田は頬杖をついて溜息した。愛車はもうこの世のものではない。 「あのさ、訊いちゃっていい?セイシン・ムコウダはしょーちゃんの兄弟か何か?」 頬杖をついた同じ姿勢のまま、向田が凍りついたのが加藤には分かった。地雷を踏んでしまったことを今更後悔しても遅い。 向田はいかにも迷惑そうな表情で、加藤を横目で睨んだ。 「なんだよ、唐突に。てぇかさ、結局いろいろ聞き出そうって魂胆なんだろーが。言ったことと違うことやってんじゃねぇよ。乗るか、ばーか」 それだけ言って、向田は奥の部屋に引っ込んでしまった。
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2 吐露(1/3) |
2 吐露
病室のドアが軽くノックされた。茶色い長髪の青年の注意が瞬時にドアに向く。 「向田君。梶木です。入るよ」 ドアの向こうの少しくぐもった声に、青年はごそごそと布団に潜り込んだ。話すことは何もない。誰とも話したくはない。食事を摂れと言われるのも御免だ。点滴なんてもってのほか。 病室に入った梶木はやれやれと肩をすくめた。 「こんな調子なんですよ」 小声で誰かに話している。布団の中で、向田の聴覚はドアの方の一点に向けられた。 「たっちゃん、外してくれるか」 梶木がクスと笑ったのが聞こえた。 「病人相手だってことをお忘れなく」 スライド式のドアの閉じる音がして、誰かがゆっくりとベッドに近寄って来るのが感じられた。それからベッドサイドの椅子が小さく軋むのが聞こえた。 「人払いはした。顔出せよ。蒸しあがっちまうぜ」 布団をポンポンと叩かれて、仕方がないので向田はそろそろと顔を出した。そして、口を開いたが『あ』の声を出せずに硬直している。 「さすがに憶えてるだろ?」 ロマンスグレーの髪に同色の口髭。人懐こそうな笑顔。 向田は小さく頷いて見せた。 「あの後、具合悪くしちまったんだってな。悪かったね。無理して食ったんだろ?」 「そ、そんなことありません」 向田は慌てて起き上がってベッドの上に正座をしようとする。そのさまを徳川に笑われてしまった。 「それだけ動けりゃ、心配ないな」 「あれ、本当にうまかったんです。久し振りに食べ物がうまいと思いました。あっ、あのッ!すみません。オレのせいで迷惑かけてしまって。オレがあなたの名刺を持ったまんまだったから警察に呼ばれるか何かしたんでしょう?本当にご迷惑をおかけしましたッ」 向田はベッドの上で土下座をした。恐る恐る顔を上げると、徳川は笑っている。 「病院まで文句をタレに来るほど悪趣味じゃねえよ。・・・・あらら?名前、ショウイチじゃなかったんだ」 徳川の視線はベッドのヘッドに吊るされている向田の名札に向けられている。 「えっ?あ、あの・・・」 「聞き違えてたな。ショウ・・・?いや、マツ・・・?それ、何て読んだらいいんだい?」 名札には『向田松院』とある。 「・・・ショウインです。変な名前でしょう」 「へえ。ショウインねぇ。確かに珍しいな。俺みたく白髪頭になったらしっくりくるようになるんだろうが。白砂青松。青々とした松原にたたずむ御所か。景観が目に浮かぶような、良い名じゃないか。親が付けたのか?」 「いいえ、爺ちゃんが」 徳川がほうという顔をした。 「爺さんに名前を付けてもらえるなんて、そうあることじゃないぜ。変な名前だなんて言っちゃあならねえよ。バチが当たる」 向田は『そうですね』と目を伏せた。それきり一点を見つめて黙り込んでしまった。 しばしの沈黙。 徳川が『さてと』と、椅子から立ち上がった。向田は弾かれたように顔を上げた。 「俺は帰るぜ。長居をすると梶木先生がうるさいから」 「あ・・・はい」 向田は何か言いたげで、少なからず悲しそうな表情を浮かべている。そんな向田に、徳川の手が差し伸べられた。くしゃり、と茶色い髪が優しくつかまれる。 「飯が食えるようになって、元気になったら迎えに来る」 向田の表情が驚きに変わる。何か言いたげな表情はそのままだが、言葉にならないでいる。向田の唇がピクリ、ピクリと動いてようやく言葉を発した。 「でも、これ以上迷惑かけられない・・・・」 徳川はふと鼻で笑って、 「弓削のジジイに監視されて、梶木に点滴打たれっぱなしでいいんなら、俺は手を引くぜ。考えたいならそれでもいい。だが、悠長なことはやってられないぜ。理由はおまえが一番分かっているはずだ」 徳川の鳶色の瞳が真剣みを増している。向田は急に恐ろしくなってきた。腹の奥が冷たくなっていくのが分かる。目の前のこの男は、ただの酒屋の亭主ではない?徳川が只者ではないことが、ド素人の向田にも伝わってきた。
病室を出て行く徳川の広い背中。 怖い。でもその先にあるものを見てみたい。そんな相反する想いが向田の心中を駆け巡っていた。
*********
数日経って徳川が迎えをよこした。徳川が病室を訪ねたあの日の晩から、向田はちゃんと食事を摂り始めたという。それを可笑しそうに梶木が電話で報告してきた。さらに梶木は弓削にも口添えをしてくれて、向田には晴れて退院の日が訪れたのだった。徳川の手元で監視をするという条件の下に。 まとめる荷物も殆どない状態で、病室でぼんやりしていた向田のもとに迎えの者が姿を現した。シャネルのスーツに身を固めた女性で、赤毛を綺麗にアップにまとめている。美人の部類に入りはするのだが、性格のキツさが顔に出てしまっている。 「博康さんの命令で迎えに来たわ。あたしは立川香奈。すぐに出るわよ。準備はよくって?」 「あ、はい」 立川はさっさと病室から出て行こうとする。 「あの」 向田の呼びかけに立川が振り返る。 「梶木先生に挨拶しなきゃ・・・」 「先生には話をつけてあります。どうぞこのまま車まで」 ぴしゃりと言われて、向田は立川の後をついて行くしかない。 立川香奈が立体駐車場に待たせていたのは、BENZ・S600。数あるBENZの中でも特に迫力のあるモデルだ。車体は白塗りでパーツは金メッキ、ガラスは総スモークで、リヤ・ウィンドウには金の家紋すら入っている。 向田は心拍数が跳ね上がった。 (ヤッちゃんの車じゃん!) 運転席のドアが開き、短い角刈り頭の男が姿を現した。向田よりもずっと小柄だが、黒いダブルのスーツがはまり過ぎなほど似合っている。 「おつかれさんです」 角刈りの男は深く頭を下げてから、後部座席に回ってドアを開ける。 「木庭、すぐに出して」 「承知しやした」 バフと、高級車らしい重いドアの閉じる音がして、外界の音が遮断された。総革張りのシート。座り心地は良いのだが、リラックスできようもない。向田の掌は汗でじっとりと濡れている。チノパンの股のあたりで向田は汗をぬぐった。 総合病院の立体駐車場を出て一般道に出る。薄暗い空間からの開放と引き換えに明るい外界に滑り込む。 立川が脚を組んだ。丈の短いスカートから女らしい豊かさのある太股が覗いている。 「緊張しなくていいのよ。護衛もついてるから」 「護衛って・・・」 向田は両脇をキョロキョロと見たが、左脇を軽トラックがタラタラと走っているだけで、それらしい車は見当たらない。 向田に顔を向けて、立川が口元を僅かに緩めて見せた。 「何事かあったら飛び出してくるわ。安心なさい」 余裕の表情の立川に対して、向田は厳しい表情を向けた。 「ひとつ訊いてもいいですか」 立川が僅かに頭を動かして『了』の意を示した。 「本当に徳川さんのところから来た迎えなんですか」 しばしの沈黙。立川がプッと吹いた。 「そういうことは病室に居た時点で訊くものでしょう?まったく、一般庶民の防衛意識の低さには呆れるものがあるわ」 立川はハンドバッグから煙草入れを取り出して向田へと差し出した。向田がそれを手振りで断ると、自分は一本抜いて火を点けて、 「博康さんも、なんでこんなコに目をつけたんだか」 と小声で呟いた。 (ムカツク女ッ!性格ブスっつうか、サイアク!) 文句の言える立場ではない向田は、頬の筋肉が引きつるのを必死で抑えながら、腕組みして窓の外を流れる景色を眺めた。 信号待ちの間に、木庭が前を向いたまま立川に話し掛けた。 「香奈さん。5、6台後ろのヤツが気になります。すぐに仕掛けてくる様子ではありやせんが。道は予定通りでようござんすか」 立川は脚を組替えながら 「いいわ。ターンパイクで一気にスピードを上げてちょうだい」 「承知しやした」 木庭は手放しで会話ができるようにイヤホン・マイクを装着した。 「ご両人とも、念のためにベルトを締めといてくだせえ」
*********
横浜市某区。立派な造りのマンションに白いBENZ・S600は滑り込んで行った。 運転手の木庭が後部座席に回ってきてドアを開ける。 「木庭。ご苦労だったわね。それにしてもあのコったら、どこまでついて行ったんだか」 立川は腹立たしそうな表情で腕組みしている。一方で向田は後部座席でぐったりしていた。車から降りようにも身体が動かないのだ。 高速道路上でのこと。尾行してきた黒いBMW・318iを振り切るべくBENZは速度を上げた。混雑している上り斜線を、右に左に、巧みにすり抜けていく。BMWはそれでも喰らいついてくる。 BENZが鮮紅色のオートバイを抜きにかかったときだった。 なんとオートバイが急減速をしてBENZとBMWの間に割って入ったのだ! その後もオートバイはさんざんBMWをブロックし続けた。混み合っている車線を走行するだけでも相当な腕前が必要なところを、後続車をブロックしながら走行しているのである。しかもダンスでも踊っているかのように楽しげに。オートバイを操縦しているのは相当な狂人だと向田には思われた。 向田はシートベルトをしたまま、無理やり身体をよじって後ろで繰り広げられている攻防戦を見ていた。自分もオートバイに乗る身、成り行きが気になって気になって仕方がなかったのだ。 しかし、最終的にどうなったのか、向田は知らなかった。無理な体勢で後ろを見ていたものだから、車に酔ってしまったのだ。襲い来る吐き気と闘いながら、真っ直ぐ座っているだけで精一杯だった。 「木庭さん。香奈。ご苦労だったね」 この声に、向田のぼんやりとした視線の先で、木庭が向き直って深々と頭を下げた。それから香奈が何か文句を言っているのが聞こえた。あの紅いオートバイがBMWを深追いしたのが気に食わないらしい。 と、向田は前髪を撫で上げられる感覚で瞼を上げた。 「大丈夫か?ひどい生汗だな」 落ち着いた優しい声。ロマンスグレーの頭髪に口髭。 「徳川さん・・・」 「木庭がおまえの具合が悪そうだと連絡をくれたから、布団を用意しておいた。立てるか?」 そこは向田も男だ。気合を入れて車外に出ると、徳川がすぐ脇に立ってがっちりと支えてくれた。木庭が手を貸そうと近寄ってはいたが、徳川は一人で充分だからと断った。 「このまま連れて上がる。木庭さん、香奈を送ってやってくれるか。あと、権藤先生にはあんたからも礼を言っておいてくれ」 「承知しやした」 徳川と向田がマンションのエレベーターに消えるのを見届けてから、木庭は立川香奈を乗せてBENZを発車させた。
鮮紅色のオートバイがマンションの敷地内に滑り込んできたのはそれから数分後のことだった。
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1 白煙の彼方から |
1 白煙の彼方から
タック タック タック タック・・・・・
同じリズムを刻みながら、ワイパーが忙しなく動き続けている。それでも雨は捌け切らない。車窓を叩く雨は相変わらず大粒で、視界は最悪と言っても過言ではない状況だ。 水煙を巻き上げながら、白いチェイサー・ツアラーVが東名高速道路を西から東へと駆け抜けていく。 「・・・ああ。悪いね純子ちゃん。じゃあ、お言葉に甘えて直帰させてもらうよ。あなたも気をつけてお帰り。本多さんには戸締りもよろしくと伝えてくれ」 純子には糞真面目な彼氏が毎日迎えに来てくれることを知っていながらあえてそう付け加えると、彼は携帯電話に繋がっているイヤホンマイクを耳元から取り去った。 「それにしてもよく降るこって」 彼は既に白髪の方が多くなってしまった頭を動かして、首の関節をコキリと鳴らした。そして、バックサイドビュー・ミラーに視線をやった。叩きつける豪雨と、自らが巻き上げる水煙とで、ミラーの中の景色も限りなく白い。 「事故して『お悔やみ欄』に載るのだけは勘弁だぜぇ」 単独での長距離走行だ。なにげに独り言が多くなってしまう。 視線を正面に据えたまま、胸のポケットからセブンスターのボックスを取り出す。と、彼は『しまったな』という表情になった。細身のターボ式ライターは助手席に置いた上着の内ポケットの中だった。 彼は左手をシガーソケットにやった。一瞬、ほんの僅かだけ注意がシガーソケットの方に向いたときだった。 「ッ!!」 甲高いエンジン音が、彼の愛車の右脇を掠めるようにして抜き去った。小さな赤いテールランプは白煙の中に溶け込んで、あっと言う間に見えなくなってしまった。 彼は唖然としてしまった。銜えていた煙草は股の間に転がっている。 「・・・バイクか?馬鹿野郎が、いったい何キロ出し・・・」 チェイサー・ツアラーVのスピードメーターは100km/hの辺りを指している。 彼はゾクリとした。 「・・・死ぬ気か?」 彼は煙草を足元に弾き飛ばすと、アクセルを踏み込んで全神経を運転に集中させた。 120、130とスピードを上げては次々と先行車を抜き去って行く。その途中でサービスエリアやパーキングエリアがあれば片っ端から乗り入れて、あのオートバイを探した。彼は何も考えてはいなかった。ただ、何故かあのオートバイを見つけ出したい。それだけだった。 二カ所目のサービスエリアから飛び出して、危なげなく本線に合流する。 スカイラインを抜き、タンクローリーを抜きにかかろうとしたときだった。 テラテラと輝く赤色灯と『事故』の二文字が眼に飛び込んできた。 (!) 心臓に一瞬、痛みが走る。腹の奥がズンと重くなるような鈍い緊張感。 彼は軽く頭を振った。 『いや、違う。警察が来るには早すぎる』 車線変更をして、スピードを殺し、事故現場の脇を擦り抜ける。案の定だ。紺色の軽乗用車が鉄柱を相手に相撲を取っていた。巻き込みはなかったようだ。緊張の糸が緩む。
事故現場を通過してどれくらい走っただろうか。彼の緊張感はプツンと途切れてしまった。 「ハーッ・・・・」 アクセルを踏んでいる右足から力が抜けて、スピードは90km/hの辺りまで落ち込んだ。肩からも力が抜ける。彼は左手の指先で目頭を押さえた。 スピード差で置いていかれたのか。どこかのインターチェンジで降りてしまったのか。それとも単に探し損ねているのか。はたまた、幻でも見てしまったのか。 彼にはあのオートバイを見つけることはできなかった。
いつの間にか雨は小降りになっていた。しかし雲は厚く、日没までまだ時間があるというのに辺りは既に暗くなり始めている。 左ウィンカーを点滅させながら、白いチェイサー・ツアラーVは富士川サービスエリアに滑り込んで行った。とりあえずガソリンを満タンにしてから、のっそりと駐車スペースへと移動した。 彼がトイレから出て、自動販売機の前で小銭を取り出しているときだった。 ドウッ! デュリュリュッ・・・ 低回転での、独特のエンジン音。聞き間違うはずもない。 「!」 彼は身体ごと振り返った。赤い切っ先が彼の視界を右から左へと通り抜けていく。
KAWASAKI GPZ900R 通称『Ninja/ニンジャ』
ニンジャはサービスエリアの端の方に行って止まった。すぐに出て行くような気配はない。 彼はホットコーヒー二缶を手に、霧雨の中をゆっくりとニンジャに歩み寄った。 「お疲れさん」 見知らぬ男に声を掛けられて、ニンジャのオーナーはぎょっとした様子で振り返った。 「だいじょーぶ。オマワリじゃねぇから」 彼は歯を覗かせて笑いかけた。が、そう言われてすぐに警戒心を解くわけもない。 ニンジャのオーナーは細身で長身の青年だった。優に180cmくらいはあるだろう。ロンゲの茶髪で、目鼻立ちのくっきりとした、一見ワイルドな感じのする顔だ。年齢は二十五、六か、もう少し上だろう。 「途中できみにブチ抜かれて、躍起になって追いかけていたんだが。いつの間にか追い越していたらしい。あの大雨ン中を我ながらよく事故らずに走ったもんだ。ほら、飲むだろ?」 缶コーヒーを差し出す。 青年はレザーパンツの股の辺りで手のひらをゴシゴシしてから缶を受け取った。 「あ、ありがとうございます。ご馳走になります」 礼儀はわきまえているようだ。 青年は愛車の脇にうずくまるようにして座ると、両手で缶を包み込んで口に運んだ。身体が小刻みに震えているのが分かる。 彼は口髭に手をやりながら、フウンと鼻を鳴らした。 「きれいなもんだ」 「?」 青年が目だけを彼に向けた。 「チェーンも弛んでいないし、タイヤの減り具合も悪くない。マフラーはKERKERか。ワックスも丁寧に掛けてある。相当可愛がっているね」 青年は縁石に缶を置くと、落ちてきた前髪をかき上げた。 「バイク、分かるんスか?」 彼は笑った。 「ああ。好きだね。もう乗らなくなっちまったが、やっぱり好きなモンは好きさ」 興味半分の無神経オヤジならスピードを出すなうんぬんと説教を垂れ、仕舞には『そんな危ないものに乗るな』とか『雨の中で単車に乗る気が知れない』とか言うものだ。そうでなくとも青年の愛車にベタベタ触ったり勝手に跨ってみたりと、無礼な行為の数々を平気でやってのける。だが、この白髪頭のヒゲオヤジは違っていた。 青年の目に現れていた警戒感がほんの少しだけ和らいだ。青年は僅かに上目遣いで彼を見ている。捨てられた犬のように。 「あの・・・濡れちまいますよ」 濡れるのを心配していると言うよりむしろ『もう構わないでくれ』という意味に近い響きがあった。 彼は細身のターボ式ライターでセブンスターに火を点けた。 「じゃあ、きみも来い。何か食おうぜ」 「いや。オレ、いいっス」 「まあ、いいじゃないのよ」 そう言うや否や、彼はニンジャに差しっぱなしになっていたキーを抜いてスラックスのポケットに入れてしまった。 「げ!うそ!待てよ!ちょっとッ・・・・」 抗議する青年を無視して、彼はスタスタと歩き出した。紫煙が背後にたなびく。 二、三歩後ろをしぶしぶついてくる青年に、 「ちなみに俺の愛車、アレね」 と、白いチェイサーを指差して見せて、 「な?覆面じゃなかったろ?」 と笑いかけた。目元にくっきりと笑い皺が刻まれる。人懐こそうな笑顔。 一方で青年はぶーたれている。 「ひとのモン盗ったら犯罪でしょうが。鍵、返してくださいよ」 「ラーメン一杯付き合ってくれたら返すよ」 「・・・・・・」
ずぶ濡れの青年の尻の下には古新聞を敷かせて、彼はラーメンを啜り始めた。青年は紅ショウガを器の端に取り除けようとして苦戦している。冷え切った手先では、箸どりもおぼつかないのだ。 そこへ彼が箸を伸ばして、紅ショウガをチョイチョイと摘み上げると、口に入れてしまった。子ども扱いされているようで、青年は一瞬ムッとしたが、あえて無視してスープを啜り始めた。冷え切った身体に、腹の中から温かさが染み渡っていく。 「・・・・うまい」 吐息混じりに小さく青年が言ったのを彼は聞き逃さなかった。
ラーメンを食べ終わった青年がプラスチック製の湯呑みをもてあそんでいると、髭の男が名刺を差し出した。青年は湯呑みを置くと甲斐甲斐しくそれを両手で受け取った。 名刺には『(有)徳川酒類販売店 代表取締役 徳川博康』とある。住所は横浜だ。 「持っとけよ。何かの役に立つこともある」 「はぁ」 気のない返事をしてから青年がぽつりと 「・・・お武家さんか何かですか」 徳川の口元に笑みが浮かび、明るい灰色の口髭がふと動いた。 「生憎だがトクガワじゃねぇ。濁らないでトクカワだ。初対面だとまず九割は間違われる」 「意外とそれを楽しんでるんじゃないんスか?」 徳川は『そのとおり』と声を立てて笑った。そして、 「よかったらきみの名前も教えてくれないか」 青年は少し間をおいてから 「ムコウダです。向田邦子のムコウダ。オレ、名刺とかなくって・・・すンません」 「向こうの田んぼって書くアレだな。下の名前は?」 「ショウ・・・ショウイチです」 徳川はフンフンと、納得したように小さく頭を動かした。
二人は建物の外に出た。サービスエリアの眩い明かりに、ごく細かい霧雨が映っている。 「付き合ってくれてありがとよ。じゃ、スピードは程々に。気をつけてな」 あっさりと別れを告げると、徳川は向田にニンジャのキーを手渡した。 まっすぐに自分の愛車に戻る。チェイサーのシートでセブンスターを燻らしていると、不意に猛烈な眠気が襲ってきた。ここまでの運転疲れが満腹を機に頭をもたげたらしい。 「いいねぇ、若いモンは・・・」 ニンジャのテールランプが小さな点になっていく様子をぼんやりと見送りながら呟く。そして諦めたように、シートを限界まで倒して眠りに落ちた。
**********
不意にけたたましい電子音が響いた。徳川の身体が一瞬びくりと跳ねる。携帯電話の着信音で、有名刑事ドラマのテーマが高らかに奏でられている。 すぐには電話を取らずに、徳川は面倒くさそうに腕時計を拾い上げると時間を確認した。起きようと思っていた時間にあと十五分あった。 「・・・・はい。ヒロです」 いかにも寝起きという声で電話に出る。電波の向こうの人物は、一つ咳払いをしてから話し始めた。 『寝てたか。悪ィな。話せるか?』 徳川が横浜の自宅に帰りついたのは明け方近くで、それから軽く汗を流してから布団に潜り込んだのだった。 「・・・・この前も弓削さんに起こされませんでしたかねぇ?」 『おまえが寝虫なんだよ。年寄りは早起きするもんだ』 「じゃあ、俺が若いって証拠ですね」 『ああ?』 「ああ?ってねぇ。俺は弓削さんと一回り以上違うんですから。一色単にするのだけは勘弁してくださいよ」 カーテンを開ける。差し込んできた朝日に目を細めながら、徳川は携帯電話を片手に台所へと移動した。電波の向こうでサイレンらしき音が短く響いた。 『電話賃が掛かるから無駄口はもういい。単刀直入に聞くが、ム・・・ダって若ぇのに知った奴が・・・か?』 弓削の口から出た名前に、徳川は勢いよく出していた水道の水を止めた。 「なんですって?もう一回」 『ム・コ・ウ・ダ。向こうの田んぼのムコウダを知ってるかって訊いたんだ!』 聞き覚えのある言い回し。徳川は少なからず動揺したが、ふうと鼻から息を吐いて、 「そのムコウダさんがどうかしたんですか」 『思い当たるか?そうなんだな?』 「さあ。ムコウダとだけじゃあねぇ。たとえばどんなナリです?」 弓削は沈黙した後で『とにかく署に来い』とだけ言い残して電話を切ってしまった。 徳川はがくーと項垂れた。 「俺の本業のこともちったぁ考えろよ・・・」 代表取締役の地位も危うく感じられてきた徳川だった。
徳川の運転する白い車が警察署の駐車場に滑り込む。すると建物の陰で煙草をふかしていた中肉中背の男がコロコロと小走りに近づいてきた。先刻の電話の男、弓削明だ。 徳川が白線の四角い囲みの中に車を停めると、弓削は助手席側の窓を小突いた。 「駐車せんでいい。おれを乗せてすぐに出せ」 「お偉いさんが仕事ほっぽいていいんですか」 「こいつも仕事のうちだ」 弓削は助手席に乗り込むとシートベルトを締めた。 「しかし左ハンドルってぇのは何度乗っても落ちつかないもんだな」 今日、徳川は白いBMWを運転してきた。『ムコウダ』と称する人物と口を利いたのは昨日の今日のこと。同じ車で行動することは避けた方がよいだろうと判断したのだ。 「弓削さんは外車はお好きではなかったですね」 「乗れるもんなら乗ってもみたいさ。おまえさんくらい上背と収入があったらな」 徳川の右側にある助手席で、弓削はあまり長くもない脚を組んだ。その様子を目の端で見ながら、徳川はこんなことを考えていた。 (俺は弓削さんの年甲斐もなく黒い頭が羨ましいですよ)
弓削は徳川をある場所に向かわせた。詳しい話はそこですると言う。 四十分くらい車を走らせると、目的の場所に到着した。ある医療法人が経営している総合病院で、規模はかなり大きい方に入る。 立体駐車場の入り口で、徳川は弓削に駐車券を取ってくれるように頼んだ。 「おれがいなかったら、わざわざ降りて行って駐車券を取るんだろ?やっぱり左ハンドルには乗るもんじゃないな」 徳川は『どうも』と駐車券を受け取ると、 「もしかしなくともたっちゃんに会うんですか?」 「分かってるんなら訊くな。おい。あそこが空いてる」 弓削が指差したスペースにBMWを停めると、二人はエレベータを使って一階に下りた。正面玄関から病院内に入る。待合室には通院患者や見舞い客が大勢いて、不健康な賑わいを見せていた。彼らの間を縫うように抜けて、二人は医師専用のエレベータに乗り込んだ。五階でエレベータを降り、渡り廊下伝いに別棟にはいる。 二人は白い扉の前に立った。扉には『T.KAJIKI』とある。岩跳びペンギンの絵のついた可愛らしい表札だ。 「梶木先生、おられますか」 弓削がノックをした。 ドアが開いて、白衣を着た小柄な男が現れた。彼の名は梶木達矢。この総合病院の勤務医で、専門は外科だ。三十代前半の、なかなかのハンサムガイ。短く切った髪をツンツンに立てている。 梶木は弓削を認めてから、視線をふと弓削の後ろへとやった。 「あ、ヒロさんも。あれ?今日は酒屋は休みですか?」 徳川は軽く頭を横に振って見せた。 梶木は弓削と徳川を部屋へと招き入れた。 「休み時間か?」 「さっき手術が終わったばかりで」 「たっちゃんはちっちゃいけれどパワフルだもんねぇ」 徳川の言葉に、梶木は『取り柄はそれだけですよ』と笑った。 「ヒロさん。こないだの傷痕はどうですか」 梶木は徳川を見上げて話し掛けた。梶木のツンツン頭は徳川の顎の線までしかない。 「ああ。もう残ってないぜ。形成手術っていうのは偉大なもんだ」 梶木を見下ろすようにして応えた徳川を、弓削が肘で突付いた。 「てめぇの話は後回しだ。たっちゃん。あの患者はどうしてる」 梶木は徳川に一瞥をくれてから弓削に視線を戻した。 「食事は全然と言っていいほど食べてくれませんね。相変わらず」 「だんまりのまんま、か。厄介なのを預けちまったな」 「いいえ。暴れたりされるのよりはずっとマシですよ。以前のアル中患者なんか、ひどかったから」 どうやら『ムコウダ』の話をしているらしいと徳川は思った。彼らの言う『ムコウダ』は、あの青年なのだろうか。 盆に湯呑みを三個乗せて、梶木が別室に入って来た。上等な緑茶の爽やかな香りが部屋いっぱいに広がった。 「お待たせいたしました」 「出たな。グラム三千円」 「ブー。三千六百円です」 梶木にはまだ助手がいない。自分の茶は自分で煎れるしかない。 「で、弓削さん。ヒロさんに話は?」 「これからだ」 「わけも分からず運転させられて来たんだぜ。善良な市民の生活を脅かす刑事なんて」 テーブルの下で弓削に脚を蹴り飛ばされて、徳川は口をつぐんだ。 弓削は緑茶をぐーっと飲み干すと、懐から手帳を取り出した。それから手帳に挟んでいた写真を徳川に差し出した。免許証の写真を拡大したような不自然な写真だった。 「こいつを知っているな」 茶髪に少しワイルドな顔立ちの青年だった。 「さあ」 「とぼけるな。おまえの名刺を持っていたんだ。どこかで接触があったんだろうが」 「付き合いは広いですからねぇ。この写真のボーヤは何と言っているんです?」 「たっちゃんが言ったとおりだ。だんまりを通していやがる」 「と言うよりは塞ぎ込んでいるって感じですよ。メシも喉を通らないし。それに、泣いている様子もありました。すごく不安がっているみたいで」 「そいつは可愛そうにな。そうは思わんか、ヒロよ」 「・・・・・」 二対一では分が悪い。完全に悪者になった徳川は、口をへの字に曲げて、ふうと鼻から息を吐いた。 「わーかった。解かりましたよ。認めますよ。会いました。ゆうべ。富士川サービスエリアで。あの大雨ン中を雨具も着ずに単車で突っ走って来たらしくて。気に入ったもんで、一緒にラーメンを食ったんです」 「それから?」 「それからって?」 「車に引っ張り込んでどうこうした訳じゃないんだろうな。後ろめたいことをしたもんだから、言い辛かったんじゃないのか」 徳川は冷めた視線を弓削に送りながら、 「そんな余裕なかったですよ。車の中で寝コケて、目が覚めたのが十時ニ十分くらいでしたか・・・それからトイレに行ったり自販機でコーヒーを買ったりして。サービスエリアを出たのは十一時を回っていました」 弓削は黙って聞いている。 「ちなみに証人はN運輸の運ちゃんです。煙草を勧めて話をしましたから」 弓削がむうと唸った。 「アリバイはあるんだな。向田が事故した時間には、おめぇさんは夢の中だったって訳だ」 「事故?」 徳川の視線が梶木に向く。 弓削が手帳を見ながら一つ咳払いをした。 「富士〜沼津インター間の高速バス乗り場前でな。単車は、ホレ。このとおりだ」 現場の写真。美しかったニンジャは悲惨な状態になっていた。写真をじっと見詰めている徳川を気の毒に思ったのか、梶木が口を挟んだ。 「弓削さん。意地悪はなしですよ。ヒロさんの心配を煽ってどうするんですか。ヒロさん、向田君に怪我はありません。安心してください。走行中に具合が悪くなってバス乗り場の陰でもどしている最中にガチャーンとやられたらしいんですよ」 徳川の頬の筋肉がピクリと痙攣した。 「ガチャンとやられて火まで掛けられたってぇのか?このコが何したって言うんだよ」 弓削はもう一杯茶をくれと湯呑みを差し出しながら、ぼそりと言った。 「ハジキの部品が出てきちまったのよ。向田は今のところ重要参考人扱いだ」
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ご挨拶(ココを最初に読んでくださいね!) |
はじめましての方も、お久しぶりの方も、こんにちは。 ゆずかほるのブログに遊びにきてくださってありがとうございます。 このブログにはオリジナル小説を掲載していきますが、まず次の内容を一読いただきますよう、 お願い申し上げます。
プロフィールにもありますとおり、ゆずの小説は次のような傾向があります。 1.恋愛のカラミが男×男であること。(これは言うまでもないか。) 2.オヤジ好き向け!登場人物の年齢層が高め。主要なキャラは30歳代。 3.スパイだとか、ミリタリーだとか、ヤクザだとか、そいういうものがちりばめられている。 4.後ろ暗い感じ。(明るい学園LOVEなどとは程遠い存在だということ。笑) 5.短編が書けない。(最低でも20ページ超えちゃうんですよね・・・汗)
次に注意事項です。 1.本小説の一部分には、男性同士の性的表現が含まれています。 18歳未満の方、ボーイズラブ(メンズラブ)、同性愛等に不快感を抱かれる方は、今すぐ 引き返されることをお奨めいたします。 なお現在の掲載ジャンルは「アニメ・コミック」ですが、他者の掲載内容や自分自身の良心 などから判断して「アダルト」に変更する可能性も十分あります。 2.いただくコメントについてですが、アダルト関係はもちろん、誹謗中傷、ブログ内容に全く関係 がない、その他管理人が悪質と判断したものについては、予告なく削除いたします。 3.FC2の利用規約にあるとおり、「ユーザーはFC2ブログ内においてユーザーが作成した テキスト・画像・テンプレート等の内容について著作権を有するものとします。」ので、 転載や盗作などはしないでください。 4.ここに掲載する小説に登場する人物、組織および団体等はフィクションであり、実在する ものではありません。 5.ここに掲載する小説には、既に本として発行しているものが含まれており、若干の修正を 施しながら掲載しています。発行済みの本を持っておられる奇特な方もいらっしゃるかも しれませんので、この場を借りましておことわり申し上げます。
以上です。 それでは心ゆくまで“ゆずかほるワールド”をお楽しみくださいませ☆
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