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6 刺青(3/4) |
以後、徳川は向田の世話女房振りに呆気に取られることになる。 まずは衛生。熱の引いた徳川に向田は早速湯を使わせてくれた。浴室で徳川はぽかんとなってしまった。尻の下にあるのは介護用の椅子。脚の先が吸盤状になっていて滑りにくく、座面も広い。 「この椅子は?」 「嶋村さんに買ってきてもらった」 「嶋村って・・・」 嶋村は紅竜會の幹部だ。木庭の兄貴分であり、地位も実力も遥かに上をゆく。そんな漢(おとこ)がホームセンターに足を運んで、更には介護用の椅子を買ったのかと思うと徳川は目眩がした。手下を使い走りに出したにせよ、嶋村のことだ『徳川のためなら』と二つ返事で引き受けたに違いない。しかし嶋村ほどの漢にそんなことを平気で頼んでしまう向田の肝の据わりように、徳川は驚くより呆れ返ってしまった。 次に食事。粥は勘弁してくれという徳川に応えて、向田は具材たっぷりの雑炊を作った。具はすべて細かく刻まれているか、もともと柔らかいものが使われていた。熱が引いて食欲が出てきたころには、左手しか使えない徳川を配慮しておかずは一口大にカット、飯は小さめのおにぎりにしてあった。これならフォークやスプーンだけで食べられる。 「まさかカロリー計算まではしていないだろうな」 「大体のところは把握してるよ。ライダーは体重管理も重要だから」 加藤を使ってまとめて買い物をさせ、偏りのないように材料を上手く組み合わせて出しているらしい。 (いいカミさんになるなぁ・・・) 食後の茶をすすりながら徳川はそんなことを思ったりした。 そして治療。消毒からガーゼの当て方、テープの使い方など、手際の良いこと。素人に傷を触られているというのに徳川には恐怖心が湧いてこなかった。 「気持ち悪くないのか?」 「慣れっこだもん。バイクでコケること二桁は伊達じゃございません」 「そいつは感心しねぇなぁ」 こんな具合で向田はたった一人で何でもホイホイとこなしてゆく。その表情の活き活きとしていること!これまでお目にかかったことのない向田が徳川の前に居た。 (この子は誰かの世話をしていないと気が済まないタチなんだな) 徳川には向田の存在が頼もしいとすら感じられていたのだった。
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殺人未遂事件から三日目。徳川のもとに会社の本多から連絡が入った。会社に刑事が来ていると言うのだ。 『うちが不正な取引をしているとか突っ込んだのがいるらしいんだよ。刑事が責任者を出せって言うから』 なるほどこう来たかと、徳川は思った。向田の始末をやりそこなって、今度は周囲の者を潰しにかかってきたかと。殺し屋を送って徳川に傷を負わせることだけでも“脅し”としての効果は充分だ。それなのに更に追い討ちをかけてくる。手を休めることを知らない連中が事件の背景に居る。これを契機に徳川が無理やり眠らせてきた対抗心がムクムクと頭をもたげ始めた。 「電話を代わってもらえますか」 徳川はこれから会社に顔を出すと伝えて電話を切った。 「ヒロさん出る気?」 「当たり前だ」 「じゃあオレが運転する」 「おまえは残った方がいい。タクシーを呼んでくれ」 「わかった」 徳川が着替えている間に、向田は徳川の書斎から電話をかけた。弓削の携帯電話の番号だ。呼び出し音が二回鳴ったところで弓削が出た。 「すんません弓削さん。向田松院です」 『なんだ?どうした?』 向田は徳川の会社がガサ入れに遭っていることを伝えた。 「実は一昨日、オレが襲われて。オレを庇ってヒロさんが刺されたんです。だから会社も休んでて。その間にガサ入れなんて、絶対おかしいです!」 『刺された?!それであいつどうしてる?』 「今から会社に行くからって、着替え始めちゃって。まだ熱があるんです。傷だって完全には塞がってないし」 『向田くん。おれが言うのもおかしいが、あいつを頼む。あいつは勝手に動く悪ィ癖があるから見張っていてくれ。おれはこっちで手を回すようにするから』 「お願いします。弓削さんしか頼めるひとがいなくて。身体張って見張りますから。オレが弓削さんに連絡したこと、ヒロさんには内緒にしてください」 『わーったよ。電話くれてサンキュウな』 向田は書斎を出て徳川のところへ行った。 「ヒロさん。やっぱオレも行く」 「おまえは残るんだ。嶋村をガードにつけるから」 「じゃあ行っちゃだめ!まだ熱もあるのに!」 「松院!」 徳川は壁掛け時計をちらりと見て舌打ちした。 「そんなに言うなら来い。時間がない」 徳川は松院を伴ってマンションを後にした。
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徳川が刺された事件から三日目には松院の実家の寺も大変なことになっていた。その事実は丸五日が過ぎてから徳川と松院の耳に入ることとなった。
徳川の携帯電話の着信音が鳴った。刑事ドラマのテーマ曲だ。 「はい、ヒロです」 『ああ、出たな。もう調子はいいのか?』 刑事の弓削だった。徳川は、表向きには急病で床に伏していることになっていた。 「ええ、まあ。書類が溜まっているかと思うと頭が痛いですが」 『何を言うか。ガサ入れでバタバタしとったくせに』 「ご存知だったんですか」 『同じ穴に棲んどるんだ。知らんわけがなかろうが。で?』 「で?って。俺はまっとうな商売をしているんです。怖いもんはありゃしません。一体誰のタレコミだったのか。刑事たちも諦めムードですよ」 『そいつは結構』 徳川にも解かっていた。殺し屋を送り込んできた連中が時間稼ぎのために徳川の会社を混ぜくりにかかったということを。しかし徳川の会社には組織の掃除屋が入ったし、その後も組織の厳しいセキュリティが掛けられていた。事務所の書類や倉庫の商品にまで敵の手は及んではいないはずだ。 「で、用件は?まさか見舞いの電話をよこしてくださったんで?」 徳川がとぼけたことを言うと、電波の向こうで弓削が咳払いをした。 『バカヤロウ。そんなもん電話賃の無駄だ。ええと、あれは居るか?あれだ。ええと、ほら、マツボックリじゃない・・・』 「松院ですか?」 『そうそう。それだ。ムコウダまでは思い出したんだが。居るんだろ?』 「居ますが風呂に入ってるんですよ。もうじき上がると思いますが。何か動きがあったんですか」 弓削はまた一つ咳払いをしてから 『あったもなにも、あっちの家がえらいことになってるらしい。そのことで兄貴が連絡を取りたがっていてな。会社に電話したらしいが、おまえは休みだろう。で、おれに縋ってきたってわけだ』 「家がって・・・」 徳川を大きな不安が襲った。 『頭に血ィ昇らせずに聴けよ?松院がこっちで殺人を犯して捕まったことになってる。どこのどいつか知らねぇが、おかしな噂をバラ撒いていやがるんだ。そのせいで妹は学校に行けない、教師をしている次男も出勤できない状態らしいぜ。門徒の数が数百軒の大きな寺だ。えらいこっちゃぞ、こりゃあ』 徳川の携帯電話がギギと音を立てた。握り潰されかねない力が加わって電話機が悲鳴を上げている。 カチャリと音がして居間のドアが開いた。徳川の視界の隅に茶色い長髪が映った。 『おい、聴いてるのか?』 「え?ああ、はい」 向田に視線を向けることなく、徳川は会話に真剣になっている振りをした。明日から出社することになっている。仕事の話をしているものと向田が思ってくれればと願った。 そのときだった。家の電話の呼び鈴が鳴り始めたのだ。向田は徳川の目を見て、口パクで『出るね』と伝えた。 「こんばんは。徳川でございます」 十秒ほどで向田の表情が変わった。向田の唇が『メイ』と動いたのが見て取れた。一瞬、徳川に訴えかけるような視線を向けてから、あとは背を向けて、受話器を隠すようにして話をしている。 徳川は声を抑えて弓削に尋ねた。 「懐音さんに家の方の電話番号を教えましたか?」 『いいや。そんなこたぁしねぇよ』 「すみません。あとからかけなおします」 弓削の返答を聞くか否かのうちに、徳川は電話を切ってしまった。 「松院」 声をかけたが反応がない。受話器を戻したまま、向田は固まっていた。その顔からは明らかに血の気が引いている。 「松院、どうした?大丈夫か?」 「どうしよう、ヒロさん・・・どうしよう・・・」 向田は徳川の方を見て、オロオロと視線を泳がせた。 「オレ帰んなきゃ。メイが学校に行けなくなっちまう。兄貴も・・・」 「メイちゃんだったのか?メイちゃんが何て?」 向田は俯いて首を横に振った。徳川には内容が読めていた。向田に言わせるのは酷だと思った。どうしようもなくなって、徳川は向田を左腕だけで抱き寄せた。徳川の肩口に額を押し付けるようにして、向田は震えた。震えながら泣きたいのを耐えていた。 「オレ、人殺しなんてしてない・・・・」 喉を詰まらせながら言うと、ついに耐え切れなくなったのか、向田は嗚咽を漏らし始めた。 「オレ、人なんて殺してないよ・・・なんでオレばっかりこんなふうになるんだよ・・・・メイにも兄貴にも迷惑かけて・・・・かけたくてかけてるんじゃないのに・・・」 徳川は目を閉じて向田の濡れ髪に頬擦りをした。そして向田の髪を何度も優しく撫でてやった。慰めてやる方法が見つからない。徳川は不安に駆られた。また向田から笑顔が消えてしまうのではないだろうかと。 「松院。耐えろ。辛いだろうが、今は耐えるしかない。弓削さんがちゃんとしてくれるから。俺も力になるから」 「・・・・オレ、生まれてこなきゃよかった」 徳川は両腕で向田を抱き締めた。背中の傷に鈍い痛みが走ったが、向田の心の痛みに比べれば大したことはないと思った。 「そんなことはない。俺にはおまえが必要だ」 向田がしゃくり上げた。まるで子どものように首を横に振る。 「だってオレ、ヒロさんにも迷惑かけてるのに!このまんまじゃヒロさんの会社にだって迷惑かけてる!ガサ入れの原因ってオレじゃんよ!」 「バカ。迷惑なもんか。考えてみろ。どれだけ俺の世話をしてくれた?俺がどれだけ救われたか、おまえ、解かっちゃいないだろう?おまえがあんまり世話を焼いてくれるもんだから、俺はすっかり甘えちまってた。今度は俺がおまえを守る番だ」 徳川は向田を抱く腕に力を込めた。 「すまなかった。おまえの身柄を引き受けるなんて格好をつけておきながら、俺が私情を挟んでもたついたばっかりに。おまえの実家にまで迷惑かけちまった。あとのケリは、何としてもつけてやる」 徳川は向田の背中をポンポンと軽く叩いた。 「だから松院、今は耐えてくれ。おまえの汚名は必ず晴らすから。そして名前負けしちゃいけないぜ。逆境に耐えてこそ、おまえの名前は意味がある。おまえは生まれがわけありかもしれないが、名前が守ってくれる。爺ちゃんの気持ちを無駄にしちゃあならねぇよ」 松という植物は断崖や海岸線といった厳しい環境でも育つ。出生のせいで辛い目にあっても負けずに生きてゆけという意味があったのか。人生がどれだけ曲がりくねっていようとも、不屈の精神を貫いて堂々とした大樹になって欲しいという祖父の願いが伝わってくる。たとえそうでなくとも“濱の松院”という別称は寺の建立から今日まで廃ることがなかった立派な名前だ。 徳川の言わんとすることが伝わったのか、向田が涙を拭いて徳川の背中に腕を回してきた。ずっと突っ張って生きてきた向田がようやく甘えることを覚えたような、ちょっとぎこちない仕草だった。徳川はふと笑って、向田の額にキスを落とした。向田がぱっと顔を上げた。 「ヒロさん、ごめん・・・あの・・・さっきの電話。メイが懐音から番号聞いて会社にかけて、会社のひとに訊いたっ・・・・」 徳川が向田の唇に人差し指を乗せた。 「黙らないとチューするぞ」 向田は目を丸くして、徳川の背中からちょっと手を浮かせた。明らかに動揺している。徳川は向田に回した腕を解こうとはしない。 「どうした?このまえは嫌がらなかっただろう?」 「えっ?あっ、いや、あの」 徳川の顔が近づいてくる。 (わー!!) ぎゅっと目を瞑った向田。と、感触があったのは肩だった。徳川は向田の肩口に顔を埋めて『う〜ん』と唸った。 「布団に連れてってくれ。頭に血ィ昇った。目眩がする・・・」 「げ!うそ!ヒロさんしっかりして!」 自分より五センチ以上も背の高い徳川を支えて、向田はそろそろと摺り足で和室に敷かれた布団まで連れて行く。 「大丈夫かな?ゆっくり座って」 細身の身体で精一杯支えになろうとする向田。いじらしいほど尽くそうとしてくれる。赤の他人に、しかも刺青とわけありの過去を背負っているような者にここまでしてくれるひとがいるだろうか。 (ああ、俺はどこまでバチ当たりな奴なんだか・・・) 先刻の目眩は、実は大したことはなく、半ば冗談のつもりだったのだが。徳川は薄手の掛け布団をかけてもらいながら、内心嬉しいやら申し訳ないやら、複雑な心境だった。 「オレもここで寝ていい?」 「ウンウン唸ってうるさいだろうが」 「ううん。ついてる。いいでしょ?」 何日か振りに布団を並べて眠る。気持ちの距離に比例して、布団の間の距離も少し縮まったような気がした。 居間のソファで仮眠を取るだけの生活をしていた向田は、その夜はよく眠った。闇の中、深い呼吸を繰り返している。障子越に差してくるかすかな夜の光の中、徳川は向田の寝顔を見守った。こみ上げてくる想いに胸の奥をツンと刺される感覚。 (この子を守ってくれ、真実) 口の中で小さく呟いて、徳川は瞼を閉じた。
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テーマ:自作BL連載小説
- ジャンル:小説・文学
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