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6 刺青(4/4) |
翌朝。徳川は嶋村に伴われてマンションを出て行った。大事な用があるとだけ向田に言い残して。代わりに徳川宅には木庭が残った。木庭の頬には赤黒いアザがあった。まるで殴られたような痕だった。向田はなんとなく訊いてはいけないような気がした。それとなく木庭の指の数をかぞえると、ちゃんと十本あった。向田は心中ホッとした。
先刻のこと。徳川は奥の仏間で嶋村に着替えを手伝わせた。桐の衣装箱の中、大切に仕舞われていた白い着流し。裾に墨地で絵柄が染め抜かれていた。着付けが終わると、徳川はいつにも増して神妙な面持ちで仏壇の前で掌を合わせていた。 徳川と嶋村が出て行ってから、木庭は奥の仏間に入って行った。仏壇の扉は開かれたままになっていた。ろうそくに火を灯し、線香を手向けて掌を合わせていた。向田はその様子を離れたところから見守った。木庭は仏壇に祀られているひとのことを知っている。向田はそれを確信した。 「木庭さん。お茶を入れましたからどうぞ」 「ああ、すんません。どうか気ィつかわねェでおくんなさい」 木庭は湯呑みの茶をすすった。しばしの沈黙。向田が何を話したらよいものだろうかと考えていると、木庭が先に口を開いた。 「ボン。この後はどうなさるおつもりで?」 「この後・・・ですか」 「ボンさえよければ徳川社長のお傍に居てくださらないかと」 木庭は静かな口調で言葉を紡いだ。 「前には社長にはいいひとがおいででした。それもだいぶ前にお亡くなりになっておしまいで。あのころの社長は見るに耐えませんでした。飯が喉を通らねぇっていうのはああいうことを言うんだなと。おれは正直、社長はもう商売もなさらなくなるんじゃないかと心底心配していやした。嶋村の兄ィも同じ心持だったと思いやす。ですからボンのように世話の届くおかたが社長の傍に居てくだすったらと」 木庭の言うことを黙って聴いていた向田が口を開いた。 「木庭さんにとってもヒロさんは大事なひとなんですね」 「ええ。命張っても足らねェくらい大切なおひとです」 木庭が目を細めた。目元が赤黒く腫れている、ちょっと痛々しい笑みだった。 「じゃあ、ボンも社長のことがお好きなんですね」 「は、はぁ・・・」 「大事なおひとなんでしょ?」 「あ、はい。そりゃあもう」 「それはようござんした」 木庭はニコニコしながら茶をすすった。 キッチンに茶殻を返しに立って、向田はしまったと思った。木庭は徳川と自分の仲を“そういうふうに”考えているらしい。弁解しようにも今更遅そうだし、木庭が怒ったら怖いだろうなという心配もあった。 (勘弁してよ〜。そりゃ嫌いじゃないんだけどさ・・・) 向田はシンクの縁に両手をついて、がっくりと項垂れた。
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紅竜會の会長、権藤誠也の屋敷。霧のような雨が降っている。真っ白な漆喰の外塀に、藍色の蛇の目傘が一つ。徳川はゆるりとした歩調で庭を歩き回った。庭の隅に植わっている紅葉の大木を真下から見上げる。蛇の目傘に雨垂れが当たってパタパタと音を立てた。徳川の顔にも雨垂れが落ちてくる。徳川は目を細めた。
権藤誠也の前で徳川は正座をして深く頭を下げた。権藤は徳川に顔を上げるように言った。 『ようやく出て来おったか』 『ここはどうにも敷居が高うございますゆえ』 『わしが再三顔を見せいと言うたというのに』 『今や堅気のわたしにとって足を踏み入れる場所でもございますまい』 『ここは――』 『権藤先生』 言いかけた権藤を徳川が制した。 『要件を手短にお伝えしたい』 権藤は羽織の袖を重ねるようにして腕を組んだ。 『言え』 『尾張者を捕らえていただいたことに、まず礼を申し上げます。そして、お願いを一つ。嶋村と木庭を三日の間お借りしたい』 『フン。よかろう。好きに使うがいい。今更頭を下げることでもあるまい』 『そしてもう一つ』 『もう一つ、何だ』 『昔の看板を使うことをお許し願いたい』
徳川は紅葉の大木を離れた。霧のような雨の中、ゆっくりと歩く。道場の軒下で徳川はしばしたたずんだ。 昔々、ここは蔵だった。生子壁の大きな酒蔵だった。酒の精霊が棲むところだった。しかし、もう蔵はない。道楽に溺れた実父が潰した。残されたのは莫大な借金。徳川酒造の敷地は人手に渡ることとなった。 「博康」 名を呼ばれて徳川は顔を向けた。権藤の姐が朱の蛇の目傘を差して立っていた。徳川は傘を持ったまま深く頭を下げた。 「博康。怪我はもういいの?」 徳川は目を細めて小さく頷いた。姐もふと笑顔を覗かせた。 「その着物。まだ持っていてくれたのかい?」 「姐さんがこしらえてくださったものです。手放せるはずがありません。俺だけのもんです。こいつは墓まで持っていきます」 「墓まで?気の長い話だねぇ・・・・その前に所帯は?」 「いえ」 権藤の姐は徳川の顔を仰ぎ見た。 「まだあの娘のことを気にしているのかい?ありゃあ、あんたのせいじゃない。あんたのせいでああなったんじゃないよ」 「それでも――」 徳川は真っ直ぐに権藤の姐の目を見た。 「俺には、女は佳香だけでいい」 「そう・・・そうかい。わかったよ」 権藤の姐は目を伏せた。ちょっと寂しそうな顔だった。 愛した女を死に追いやった。女とは将来を誓っていた。荒れていた時代を断ち切り、一緒にやり直すつもりだった。しかし女は死んだ。希望はなくなった。自棄になった。自分も死ぬつもりで、この屋敷に切り込んだ。誰かが殺してくれると信じていたのに、死ねなかった。その威勢を権藤に買われた。女の分まで苦しみを背負っていき続けろと言われた。そして今もこうして生きている。 「姐さん」 「なんだい」 「この着物を尾張の連中に見せてやってもいいですか」 「死に装束になるんだったら、あたしゃ御免だよ」 「三日で戻ります」 「約束だよ」 「ええ。約束します」 権藤の姐は徳川の頭の天辺から爪先までを眺めた。 「帰ってきたら加藤に着物を取りに来るように伝えておくれ」 徳川は目を細めて『了』と頷いた。
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徳川は昼には自宅に戻ってきた。嶋村と木庭を帰すと、徳川は仏間で着物を脱ぎ始めた。向田は着物を衣文掛けにかけた。着物の裾が少し湿っていた。 徳川はグレンチェックのスラックスを穿いて、ネクタイを締め始めた。 「さて。どれくらい書類が溜まってるんだか」 「ヒロさん」 「ん?」 「用事ってなんだったの?」 「ああ。ちょっとひとの都合をつけに行っていたのさ」 徳川は向田を振り返った。 「おまえに悪さをしかけたバカどもを嶋村さんたちが捕まえてくれていたんだ。“蛇の道はヘビ”って言うだろう?こういうことに関しちゃ弓削さんたちより行動力があるからなぁ。で、俺が怪我をしたわ、おまえには変な噂が立つわで。放っておくと捕まった連中が嶋村さんたちにボコボコにされちまいかねないから、俺が出て行ったというわけさ」 そして徳川はふと笑って、 「だからおまえはもう心配しなくていい。連中は警察に引き渡した。変な噂もじきになくなる。メイちゃんにも電話をしてあげるといい」 向田はホッと安堵の吐息を漏らした。 「よかった。着物なんか着て、仏壇を拝んで行くもんだから、何しに行くのかって心配だったんだ。なんか忠臣蔵の討ち入り前みたいじゃん」 徳川がブッと吹いた。 「忠臣蔵ってなぁ。若いもんが言うかね?本当に爺さん婆さんの守で育ったんだなぁ、おまえ」 「あはは」 それから徳川は、あとから加藤が来るからと言い残して会社に出て行った。 向田は察知していた。徳川はこれから危ない橋を渡りに行くのだと。そして自分にはそれを止めることはできないだろうと。何故なら自分は徳川の持つ危険な魅力に惹かれているから。漢として一本筋の通った生き方をしている徳川に惹かれているから。“男惚れ”という言葉では説明し切れない感情を抱いている自分がいるということに気付いてしまったから。 シンとした室内。向田は徳川の着物に顔を埋めた。かすかに徳川の匂いがした。向田は溜息を漏らした。 徳川が帰宅したとき、本当は飛び出していって抱きつきたかった。無事に帰ってきたことに対する喜びを身体いっぱいで表現したいくらいだった。嶋村と木庭が居た手前、そういうことができようはずもなかったのだが。たとえ彼らが居なくてもできないものはできなかったとも思う。徳川の反応が怖かった。何を考えているのかと退いてしまわれたらと思うと動けなくなってしまう。ただ、もし徳川が望めば拒む理由などないに等しかった。覚悟ができたとか、そういう理由ではない。自分自身が徳川のことをもっとちゃんと知りたいと思い始めて、今では思いつめているに等しい状況だからだ。 徳川の入浴を手伝うとき、胸がドキドキした。徳川の外見上の風貌は、実年齢のわりに老けて見えるのだが、身体は正直だった。筋肉の張り具合。肌の艶。徳川の身体は生気に溢れ、とても男性的で美しかった。そこで羨ましいとか妬ましいとか思うのが同じ男としての筋なのだろうが、向田の反応は違っていた。徳川の身体を視覚に収め、その身体に僅かでも触れることができるだけで、ほんの一時でも我が物にしているような感覚に酔い、歓喜していた。 向田は仏壇の前に座った。 「真実さん。オレ、どうしたらいい?オレ、ヒロさんのこと好きだよ。こんな気持ち初めてだし。こんなに守ってもらったのも初めてだし。だから、どうしたらいいんだろう?オレに何ができるかな?恩返しとか、そういうのだけじゃなくってさ・・・」 もどかしい想いに、向田は再び溜息をついた。
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テーマ:自作BL連載小説
- ジャンル:小説・文学
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